今週のみことば


5月12日


「神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた
しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに
どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして
またもや、新たにその奴隷になろうとするのか
あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている
わたしは、あなたがたのために努力してきたことが
あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない」
(ガラテヤ人への手紙4章8-11節)


イエスの名による救いを受けながら
キリストが来られる前の宗教や
律法、古いしきたりなどに戻っていくガラテヤ人達に対して
はっきり目を覚ますようにとパウロは説得しています

新約の時代の信仰は
それまでの「〜しさえすれば」という律法を守るだけの上辺の信仰ではなく
イエスに対する心を見られる信仰です
ところが
救われて、クリスチャンとして多くの恵みを得ながらも
自分の生活が安定し、将来がある程度見通せるようになると
多くの人は、心に神を忘れ
自分の持っている財力や権力に目が向き
そういうものを頼りにしていく、つまりそれらが神のごとき存在になっていくことは
現在でも珍しい事ではありません
また、迷信や古い考えに惑わされていく人もあるでしょう

せっかく、神を知り、神から知られているにもかかわらず
そのような状態に陥って行くのは
残念ながらその心にイエスに対する信仰が育っておらず
人間の知恵を過信し
「神の領域」というものを認識していないがために
いつまでも自分の知恵で歩もうとし
神の導きのうちに進むことができないからです

「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である
すなわち、聖書に
『わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする』
と書いてある
知者はどこにいるか
学者はどこにいるか
この世の論者はどこにいるか
神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった
それは、神の知恵にかなっている
そこで神は、宣教の愚かさによって
信じる者を救うこととされたのである」
(コリント人への第一の手紙1章18-21節)


イエスを信じる信仰によって救われるとの約束(十字架の言葉)は
それを信じて受け入れ、洗礼と聖霊による救いにあずかるわたしたちには
直接、神の力となって届いてきますが
信じない人にとっては単なる愚かな言葉です

ところが
『わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする』
とあるように
世の中の知恵で人は幸いになることはできません
どんなに知恵を尽くしても神を見つけることはできず
救いに至ることもないからです

十字架の言葉を受け入れて救われたクリスチャンは
その歩みに派手さはなくても
開かれた道に従って歩み
そこでおのおのの立場によって自分のすべきことをなし
あとは、そこに神がどのように働いて下さるのか
「神の領域」を待ちます
これが神に任せた信仰生活です

救われていながらも
なお心の中には”存在しない神々”がいて
惑わされることもあるかもしれません
そういうものに一線を引き
神の知恵に頼って(聖霊の導きに従って)
この先どのような道が開かれて行くのかをまかせて進んで行きましょう

「このようにして、キリストの日に
わたしは自分の走ったことがむだでなく
労したこともむだではなかったと誇ることができる」
(ピリピ人への手紙2章16節)




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