今週のみことば


6月8日


「わたしが言いたいのは、こういうことです
霊の導きに従って歩みなさい
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです
肉と霊とが対立し合っているので
あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません
肉の業は明らかです
それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心
不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのもの
です
以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり
喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です
これらを禁じる掟はありません
キリスト・イエスのものとなった人たちは
肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら
霊の導きに従ってまた前進しましょう
たがいに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう
(ガラテヤ人への手紙5章16-26節)


ここでは、『肉の業(わざ)』と『霊の実』について記され
この両者は相いれないものであると説明されています

両者の具体的な内容については太字で表してみましたが
『肉』とは何かと言えば
”人間から神の性質を抜いたもの”、”神を離れた人間の姿”
ということになります
そして、どんな人でも自分の意思でこの肉から離れることはできず
肉のなせる業も無縁ではありません
程度の差こそあれ
人はみなこうした弱さと戦って生きていかなくてはならないのです

その『肉』の部分を、修行や頑張りで克服しようにも
現実にはそれは無理なこと
ならばどうすれば人はこの肉の弱さから離れることができるのでしょうか

ここで必要になるのが『霊(聖霊)』です
聖霊は神ご自身ですから
人間が失っている神の性質を得るためには
まず聖霊を内にいただき
ひとりひとりの心の中に『愛』を住まわせることが重要になるのです

そもそも、神の愛によって人は救われるチャンスを得ました
つまり
神が人間を愛して下さるがゆえに
神ご自身が肉体を持った人間イエスとして生れ
十字架にかかり、その血にあずかる洗礼と
ご昇天後に注がれた聖霊とが与えられることとなったのです
この両方を受けて神のものとなる=クリスチャンとなることができたのは
愛なくしてはあり得なかった事
そしてこの与えられた大切なものを失わないように養い育てていくことの重要性を
わたしたちは今までも繰り返し教えられてきました

このようにして与えられた聖霊に導かれることで
愛が喜びが平和が・・・と
みことばに記された数々の良い心が生れ
これらが肉の業=人間の弱さに対抗してくれるのです
逆に言えば
もし聖霊に導かれないなら
神のいない生活=神の心のない生活となり
肉の業に自ら悩まされ支配されていくことになるでしょう

「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え
霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます
肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります
なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており
神の律法に従っていないからです
従い得ないのです
肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません」
(ローマ人への手紙8章5-8節)

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです
あなたがたは人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく
神の子とする霊を受けたのです
この霊によってわたしたちは『アバ父よ』と呼ぶのです
この霊こそは、わたしたちが神の子どもであることを
わたしたちの霊と一緒になって証して下さいます
もし子どもであれば、相続人でもあります
神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です
キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」
(ローマ人への手紙8章14-17節)


かくして、洗礼と聖霊を受けてクリスチャンとなった者は
霊に従って歩む者=神に喜ばれる者となる使命があり
神の子=神の相続人にふさわしい者として成長しなくてはなりません
もし、救われてなお、肉に従って歩み続けようとするなら
神に敵対しているのだとも記されています
しかし
人間の弱い心がすべて正されて
肉の思いがゼロになることは、残念ながらないように思えます
かといって
もうどうでもいいわと肉100パーセントで歩んでいけば
その人の人生は無茶苦茶になってしまうでしょう
人の頑張りで肉の思いはゼロになることはなくても
神が必要に応じて各々に霊の思いを与え
人が少しずつでもそれに従っていくなら
確実に変わっていくことはできるのです

思いがけない事態に
腹が立っても納得がいかなくても
寛容や柔和といった霊の思いによってコントロールされれば
肉の思いである怒りの感情もおさめることができますが
それを自分の意志だけで抑えることは非常に難しい事です

怒りは肉の思いであり、『この世』から出ています
この世にあるさまざまな感情との戦いにはどうすれば勝利できるでしょうか
神の愛がなければ怒りも消せず、許しもありません
そういうわけで
神にある者が最終的には『世に勝つ者』となるのです

「神から生まれた人は皆、世に勝つからです
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です
だれが世に打ち勝つか
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか
この方は、水と血を通ってこられた方、イエス・キリストです
水だけではなく、水と血とによって来られたのです
そして、”霊”はこのことを証しする方です
”霊”は真理だからです
証しするのは三者で、”霊”と水と血です
この三者は一致しています」
(ヨハネの第一の手紙5章4‐8節)


イエスは神ご自身が血(肉体)をもって地上に来られた方であり
”霊”(聖霊)も真理すなわち神ご自身です
神である救い主イエスは
水(=イエスの血にあずかる洗礼)と霊(聖霊)を人間に与え
神に属する者とし
人間イエスの歩みを通して
神に属する者の生き方の見本を残して下さいました

肉体をもった人間イエスの歩みの中には
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制
といった神の心が表れていて
洗礼と聖霊を受けて神に属する者クリスチャンとなったわたしたちは
救われてもなお心に持っている肉の弱さと戦っていくために
神の心を自分の心としていくことを
生涯教えられていくのです
ただ洗礼と聖霊による救いのみならず
その後の肉体を持つ者の生き方の模範となり
「霊と水と血」を持ってきて下さった神
この唯一の神を信じる信仰こそ
この世に打ち勝つための最も重要な秘けつです

世の中ではみなそれぞれ幸せになりたいと願い
そのために良い人になろうとしている人も少なくありません
ところが、人の修行では理想の自分は手に入らないのです
正しい行いをしているから弱さが克服できるわけでもなく
この世に勝つために人間の力はあまりに非力です

誰でも、信じるものを持ち
そこに希望を置いて生きていますが
信じる存在が”世に勝つ”ものでなくては
信じていても意味はありません
非力な人間を信じても
滅び行くものを信じても
その先に希望はないのです

この世に打ち勝つ秘けつを与えて下さる神を信じ
その信仰によって救われ、自分が変えられ整えられていく
生きる知恵や力もすべて神から来るものであり
神の導きに従う人生には必ず幸いがあります

「〜をしてはならない」という律法的な意味で肉の思いを封じ込めようというのではなく
神の心を持つことで、肉の思いが薄まっていくような
そんなチャンスが日々の生活の中にありますから
神の愛を感じて、その愛を活かすことができるように
いよいよ信仰に立って進んでいきましょう



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