今週のみことば


6月15日


「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら
"霊”に導かれて生きているあなたがたは
そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい
あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい
互いに重荷を担いなさい
そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです
実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら
その人は自分自身を欺いています
各自で自分の行いを吟味してみなさい
そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても
他人に対しては誇ることができないでしょう
めいめいが自分の重荷を担うべきです
御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい
思い違いをしてはいけません
神は、人から侮られることはありません
人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り
霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります
たゆまず善を行いましょう
飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります
ですから、今、時のある間に、すべての人に対して
特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」
(ガラテヤ人への手紙6章1-10節)


ガラテヤ人への手紙5章に記された『肉の業(わざ)』と『霊の実』について
もう一度ここに書き出しておきます

『肉の業』とは
姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心
不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのもの

『霊の結ぶ実』は愛であり
喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です


『肉』とは何かと言えば
”人間から神の性質を抜いたもの”、”神を離れた人間の姿”
ということになります
そして、どんな人でも自分の意思でこの肉から離れることはできず
肉のなせる業も無縁ではありません
程度の差こそあれ
人はみなこうした弱さと戦って生きていかなくてはならないのです
(以上、6月8日のみことばから抜粋)

しかし、残念ながら人間が自分の意志の力で肉の業を防ぐことは困難であり
そこからしばしばトラブルが生じます
もし周りにそういうことが起きた場合には
聖霊と洗礼のバプテスマを受けて救われたクリスチャンは
”聖霊に導かれる者”として
『霊の結ぶ実』であるところの柔和な心をもって
滅び行く人を正しい道に立ち帰らせる使命があるとともに
何より自分自身が滅びの道に誘惑されないよう注意することが大切です

「わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて
だれかがその人を真理へ連れ戻すならば
罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し
多くの罪を覆うことになると、知るべきです」
(ヤコブの手紙5章19-20節)


「真理」とは神のこと
つまり、神から離れて、肉の業に捕らわれていく人を
神の側に立ち帰らせ
聖霊の導きに従って実を結ぶ人としていくならば
その人の魂を死から救い出し、肉の業から生れる罪を防ぐことになるのです

このように
お互いが信仰によって助け合い
正しい道に歩もうとすることは
「キリストの律法を全うする」ことになると記されていますが
ここでいう「キリストの律法」とは
イエスを救い主と信じて洗礼と聖霊のバプテスマを受けること
そして、聖書を通じイエスの心に習うように共に歩むべきことを示しており
そこに『霊の結ぶ実』が生ってくることで
この律法は全うされていくのです

しかし
人間の中に弱い肉の部分がある限り
そこには欲が存在し
神に造られているこの身であっても
心の奥には身勝手な自分がいるものです
そんな身勝手な自分から離れるためには、神の心を知る必要があり
神の心を知るためには
神ご自身の言葉(聖書のみことば)を聞いて
謙虚になって従っていくこと
そして仮に不本意であっても、開かれた道を潔く進んでいくことで
神のご計画を知ることができるわけです
完全な愛を与えることのできる神は
すでに大きな愛である十字架による救いを与えた後
その心に習う者たちを
幸いな道に導かないはずがありません

だからこそ
自分が大した者でもないのに己を過信しないことです
人間はみな神の前に愚かな存在であり
自分の本当の姿を冷静に省みるなら
恥ずかしいばかりではないでしょうか

神の心をもってお互い許しあって・・・と言っても
現実には難しい事です
だからこそ、聖霊の導きと共に
神の側に立つ、神と共に歩むという覚悟(信仰)がなければ
踏み出すことも難しいでしょう

わたしの信仰が素晴らしいから物事が上手く行くのだと
勘違いな自慢をするのではなく
すべてのことは神のお恵みと感謝して
信仰の世界に自分の面子を持ち込まないように
十分注意したいものです

「わたしは植え、アポロは水を注いだ
しかし、成長させてくださったのは神です
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく
成長させてくださる神です」
(コリント人への第一の手紙3章6-7節)


各々おかれた立場や仕事は違っていても
誰が何をしたかが重要なのではなく
心が神にあることが大切です
神の前に働くのだということにおいて
わたしたちはみな心を一つにして
お互いを思いやり、助け合って
いよいよ信仰を堅くして進んで行きましょう

『肉の業』をまけば、『肉の業』を刈り取り
『霊の実』をまけば、『霊の実』を刈り取ることになります
人の失敗を喜ばず
その人のために祈ってあげることが理想ではありますが
そこまでできないにしても
そうありたいと願うことは大切です
怒りやねたみを抱えたままでは自分も不幸になってしまうでしょう

人の心は弱いので
自分の力でサタンに勝つことはできません
だからこそ聖霊が与えられ
心の弱さを完全な愛で補ってくださるわけです

ならばその道から決して離れず
神の手をしっかりつかんで握りしめ
人の心を制する聖霊の導きに従って
「善=神に喜ばれる道」に歩んでいきたいものです



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