今週のみことば
7月13日
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である
決して行いによるのではない
それは、だれも誇ることがないためなのである
わたしたちは神の作品であって
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと
あらかじめ備えて下さったのである」
(エペソ人への手紙2章8-10節)
人は、キリストを知り、その救いにあずかるまでは
この世を支配する(空中に勢力を持つ)霊=サタンに従って歩む者であり
肉の欲望のおもむくままに生活し
肉や心の欲するままに行動する
生まれながら神の怒りを受けるべき者でした(2-3節)
そのような状態にあったわたしたちが救われたのは
ただ神の恵みによるもので
決してわたしたちの行いが正しいからではありません
すべては全能の神によるものであり
その恵みによって選ばれたことを忘れず
神の作品として造られたからには
神と共に歩む良心的な生き方を聖書を通して学んでいく必要があるのです
もしそのような歩み方を求めていかなければ
この世の惑わす存在(サタン)によって
わたしたちはなおも惑わされて
平安な日々を送ることは難しくなるでしょう
元々、神を知らないという罪を持っていたわたしたちですが
せっかく救われても神を知ろうとしない場合
結局この世にあっては
自分のことしか考えない、自分さえよければいいと思う人になって
神に喜ばれない=平安のない生き方をしてしまうのです
現実問題として
人間が自分の努力で自分の心を律していくのは非常に難しい事です
そんな不安定な心をどうやって守っていけばいいのでしょうか
「あなたがたは終りの時に啓示さるべき救いにあずかるために
信仰により神の御力に守られている」
(ペテロの第一の手紙1章5節)
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい
繰り返して言うが、喜びなさい
あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい
主は近い
何事も思いわずらってはならない
ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ
あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が
あなたがたの心と思いとを
キリスト・イエスにあって守るであろう」
(ピリピ人への手紙4章4-7節)
洗礼と聖霊のバプテスマによって救われた後は
御再臨の時まで
イエスを信じる信仰と神の力によって守られて進む
そして、守られるのはわたしたちの”心と思い”です
守られるために救われたのであり
この先の人生もイエスと共に歩んで行かなければ
心は正しく守られていかない
全能の神であるイエスを信じるのか信じないのか
すべてはここにかかっているのです
人生の戦いは、自分の心との戦いです
人に支配され、感情に支配され
何が正しい事なのかもわからなくなっていく時も
信仰の祈りは、その人の心を正しく導き
サタンのワナから解き放ってくれます
こうして、神と共に生きていけば大丈夫なのだという本物の自信を持つところから
本当の平安が訪れ
神への信頼と感謝の繰り返しによって
いよいよ、人知を超えた神の領域を知っていくことができるのです
「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節)
「したがって、信仰は聞くことによるのであり
聞くことはキリストの言葉から来るのである」
(ローマ人への手紙10章17節)
信仰は、十字架の言葉=キリストの言葉を聞くところから始まるわけですが
聞き方に注意しなければ
ただ自分の思想に合う話を聞き出そうとしてしまうことにもなります
「教えられる」とは
簡単に言えば自分の欠点を見つけるようなものですから
自分の間違った思いに合う話を求めていたのでは
いつまでも正しい事を教えられることがありません
わたしたちは自分の欠点がわかっても
自分の力でそれを矯正していくことはできませんが
神の作品として造られている事を自覚し
自ら変わりたいと願い祈っていくなら
そこから状況は少しずつ変わっていきます
何度も言いますが
人が良い事をしたから救われるのではなく
神の愛によって選ばれ、救われるのだということですから
自分の中にある間違いを認めて悔いることは重要です
この信仰は
あくまでも内側に聖霊があるがゆえのもの
聖霊があるからこそ
人の知らない、意識しない力によって守られている
救いは神の力によって与えられ
神によってすべてが与えられること
神の作品であるひとりひとりには
その中に愛や勇気といった素晴らしいものも隠れていて
それらが豊かに用いられる歩みをするのが
クリスチャンとしての生き方です
こうして、神と共に歩む道を進んでいても
人生には多くの戦いがあって
時には恥をかかされ辛い思いをする場面もあるかもしれません
そんな時こそ
”神にある自信”を思い出しましょう
それは過去に経験した神の助けに対する感謝から生まれます
信仰歴が長くなると
自分がこうしたから物事が上手く行ったのだと
自分に栄光を帰するようになる場合があります
長い間にそういう間違った思いが蓄積されると
神に対する感謝もなくなってしまいますから注意が必要です
全能の神によって守られているこの身の幸いに感謝し
どんなところにあっても神に希望を見いだして
生きていくためのすべての秘けつが記された聖書の言葉により
心を守り、知恵と力を与えられて進んで行きましょう
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