今週のみことば
7月20日
「だから、記憶しておきなさい
あなたがたは以前は、肉によれば異邦人であって
手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは
無割礼の者と呼ばれており
またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく
約束されたいろいろの契約に縁がなく
この世の中で希望もなく神もない者であった
ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが
今ではキリスト・イエスにあって
キリストの血によって近い者となったのである
キリストはわたしたちの平和であって
二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き
ご自分の肉によって
数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである
それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ
十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ
敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである」
(エペソ人への手紙2章11-17節)
神の選民であるイスラエル人以外の異邦人は
割礼を行っている者からは「無割礼」の者とされ
キリストと関わりもなく
イスラエル人(選民)でもなく
神によって約束された祝福の契約にも縁がなく
この世にあっても希望もなく
神を知らずに生きていました
このように
元はといえば、イスラエル人と異邦人の立場は遠く離れていたものが
今は、イエスの名による救い(洗礼と聖霊のバプテスマ)が与えられることにより
「二つのものを一つに」、つまり、イスラエル人と異邦人を一つにされ
この両者は、近い存在となりました
これは
イエスご自身が自らの肉体(血)をもって救いを与え
それまでの律法を廃棄し
「二つのものをひとりの新しい人に造りかえて」下さったからです
今やイスラエル人と異邦人の間の中垣は
キリストの十字架によって取り去られ
両者はともに一つの霊(聖霊)で結ばれて
神の家族となりました(18節)
「またあなたがたは
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって
キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である
このキリストにあって、建物全体が組み合わせられ
主にある聖なる宮に成長し
そしてあなたがたも、主にあって共に建てられ
霊なる神のすまいとなるのである」
(エペソ人への手紙2章20-22節)
こうして、神の選民であるイスラエル人と共に神の家族になったわたしたち異邦人は
救われてからは
使徒と預言者が伝えてきた土台の上に信仰の建築をしていきます
その土台の中心となる「かしら石=かなめ石」はイエスご自身であり
わたしたちも聖霊の働きによって
自分自身が神の神殿として成長していかなければならないのです
「しかし、御霊は明らかに告げて言う
後の時になると
ある人々は、惑わす霊と悪霊の教えとに気をとられて
信仰から離れ去るであろう」
(テモテへの第一の手紙4章1節)
救われる前の異邦人は
真の神ではないもの(思想)に仕えていていましたが
救われてもなお
惑わす霊に惑わされて
信仰から離れていく危険にさらされています
人間は、体を構成する臓器だけで生きているのではなく
ああしよう、こうしようと思う「心」というものが
その人の生き方を決めていきます
そして、その「心」の中に聖霊が宿り、人を導き
また人もその導きに従って行く時
正しい道からそれることなく生きていくことができるのです
「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節)
聖霊を内にいただき、その導きに従って歩む者とされたわたしたちにとって
十字架の言葉、つまり聖書のみことばこそが
最も重要な人生の指針であり、神の力です
聖書に登場するところの、神によって助けられていく人々は
みな神の名を呼び、求め、祈って、その言葉に従って進んでいます
決して何もせず奇跡が起こっているわけではありません
神への信頼を元として
切に祈り求め、知恵を与えられ
なおかつ、自分の今できることをして
神の助けを待つ
その信仰に基づいた生き方を学び
それを自分の生活にも生かして
信仰の建築を進めていきましょう
<目次