今週のみことば


8月24日


「そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める
あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない
彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより
神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって
ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている
しかし、あなたがたは、そのようにキリストを学んだのではなかった
あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて
イエスにある真理をそのまま学んだはずである
すなわち、あなたがたは
以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て
心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって
造られた新しき人を着るべきである」
(エペソ人への手紙4章17-24節)


人はその「無知」のゆえに
自分が何も知らないことも、間違ったことを信じている事も
幸いな道から自ら遠ざかっている事も知りません
その上、心がかたくななので
教えられても、それを素直に受け入れることも難しいのです

こうして
そのまま神から遠く離れた感覚で生きるほど
自ずとサタンに惑わされることとなり
自分が滅びに向かって進んでいる事も知らずに
身勝手で、ふしだらな生き方についても何も感じない
そんな愚かな存在となっていくのでした

「無知」とは
神について何も知らないという意味の無知もあれば
自分が何者かも知らないという無知
あるいは、世の中のこともすべてがわかっているわけではなく
自分の周りのほんの一部の事しか知らず
それですべてを知っているかのように勘違いをしている無知・・・と
色んな意味があります

熱心に聖書を勉強していても
世の中を知らず、そこに何の問題が起きているか関心がなく
お金や社会的地位をもっている人は幸せに違いないと思いこんでいる人は
その現実を知らない無知ゆえに
聖書の教える意味を理解できませんし
人がお互い穏やかに暮らしていくためのマナーを知ろうとしない人は
無知ゆえにトラブルを抱え、信用を失っていくでしょう

神の息を吹き込まれて生きる者となった人間には
神由来の”良心”が備わっている一方で
生まれ育つ過程において
間違った価値観やプライドといった”世の性質”も身につけるため
そういう余計なものを清算し
新しい自分に生まれ変わって、神と共に歩むことで
どんな時も平安な生き方ができるようになるのです
そのために
洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われる道が与えられましたが
それは神の一方的な愛によるものであり
人の頑張りや修行で得るものではありません
もし修行で救いに至るなら
人は必ず自分を誇るからです

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより
信仰によるのである
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である
決して行いによるのではない
それは、だれも誇ることがないためなのである
わたしたちは神の作品であって
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすように
あらかじめ備えて下さったのである」
(エペソ人への手紙2章8-10節)


こうして、人は救われ
キリストにある者=クリスチャンとしての歩みがスタートするのですが
実際に自分の心の中に住みついた古い考えはすぐには変わらず
どんなに信仰歴が長くなろうとも
心が神に向いていなければ
いつまでも正しい事がわからないままです

信仰生活にあって
古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分として出発するために
神よりのさまざまなチャンスがあっても
それを受け入れるかどうかは自分にかかっていて
常に聞く耳を持っている事は大切です

使徒行伝24章において
総督ペリクスはたびたびパウロを呼び出して
イエスに対する信仰の話を聞いていました

「数日たってから、ペリクスは
ユダヤ人である妻ドルシラと一緒にきて、パウロを呼び出し
キリスト・イエスに対する信仰のことを、彼から聞いた
そこでパウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じていると
ペリクスは不安を感じてきて、言った
『きょうはこれで帰るがよい
また、よい機会を得たら、呼び出すことにする』
彼は、それと同時に、パウロから金をもらいたい下心があったので
たびたびパウロを呼び出しては語り合った」
(使徒行伝24章25-26節)


ここでペリクスは
何度もパウロから信仰の話を聞く機会がありましたが
彼の目的はパウロのお金だったので
パウロの語る真理を聞くことができず(聞こうとせず)
その後、別の人物と総督の任を交代した為
救いのチャンスも失っていくのでした

ぺリスクの目的とパウロの目的が違っていたように
わたしたちの目的と神の目的が一致しない場合
つまり、わたしたちの都合良く、願いどおりにならない場合
心を柔らかくして、神の目的を受け入れようとしなければ
わたしたちは自分が変わるチャンスも
その先に開かれる幸いな道も
逃していくこととなるでしょう

古い自分が新しく変わっていくために大切なことは
神に対する心の状態をどう保っていくかです
そのためにも過去の証をいかに生かすか
そして、感謝をいつまでも忘れないことが
重要なポイントになるでしょう
更には
教会に集うことで心の状態をチェックし
聖書のみことばを通して
イエスにある真理を学んでいくのです

エペソ人への手紙4章1節に
パウロは自分を「主にある囚人」と表現しているように
クリスチャンはイエスに捕らわれた者であり
イエスの元がわたしたちの魂が安らぐふるさとです

人生はしばしばさまようものであっても
さまよった先に行きつく場所が問題であり
チャンスに乗れたら人生は変わります

wonder from place to place
あてもなくさまよう人生ではなく
神にかたどられた”新しい人”を着て
神と共に幸いな人生を歩んでいきましょう



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