今週のみことば


8月31日


「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて
おのおの隣の人に対して、真実を語りなさい
わたしたちは、お互いに肢体なのであるから
怒ることがあっても、罪を犯してはならない
憤ったままで、日が暮れるようであってはならない
また、悪魔に機会を与えてはいけない
盗んだ者は、今後、盗んではならない
むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために
自分の手で正当な働きをしなさい
悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って
聞いている者の益になるようにしなさい
神の聖霊を悲しませてはいけない
あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである
すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい
互いに情け深く、あわれみ深い者となり
神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように
あなたがたも互いにゆるし合いなさい」
(エペソ人への手紙4章25-32節)


洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われたクリスチャンは
それまでの古い生き方を捨てて
新しい生き方を身につけていくべき事
そしてその具体的な内容がここには記されています

人は、自分の面子を守るために、また得になるように
しばしばウソをつきます
この世の生き方においては、人の面子というものが土台となっているため
こうして真実が隠され、トラブルの元となっていくわけですが
キリストにあるというクリスチャンは
お互いを思いやり、正直に生きていく道を勧められています

「わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う
思うべき限度を越えて思いあがることなく
むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りに従って
慎み深く思うべきである
なぜなら一つのからだにたくさんの肢体があるが
それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように
わたしたちも数は多いが
キリストにあって一つのからだであり、また各自は互いに肢体だからである」
(ローマ人への手紙12章3-5節)


人間の肢体にはそれぞれの働きがあり
そのどれか一つが欠けても不自由が生じてしまうように
わたしたちはひとりひとりがキリストに属する肢体の一つであって
お互いがみな必要な存在として各々の働きをなし
助け合い、ゆずり合っていくことが大切なのです

しかし、救われてクリスチャンになったといっても
”思うべき限度を越えて思いあがる”こともあり
更には各々の考え方も同じではないことからトラブルも起こり
怒りを引きずってしまうこともあるでしょう
”あがないの日のために、聖霊の証印を受けた”者であるにもかかわらず
さまざまな”悪意”というものから無縁になったわけではないのです

エペソ人への手紙4章15節に
「愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し
かしらなるキリストに達するのである」

とあるように
クリスチャンは救われて後の成長が重要で
いかにして
”無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり”といった”悪意”から離れていくかが
課題となってきます

もし悪意というものを放置しておくなら
そこに悪魔(サタン)が入り込んできて、その人の心を支配し
聖霊の働きをも阻害していくでしょう

「御霊を消してはいけない」
(テサロニケ人への第一の手紙5章19節)


人は怒りに駆られると正常な判断ができなくなります
それは怒りという感情からサタンが入ってくるからで
例えば子どもを叱る時にも
ただ怒りにまかせていると子どもはつぶれてしまいます

叱る目的は子どもが良くなる為なのですから
”必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って
聞いている者の益になるようにしなさい”

と記されているように
その語る言葉によって相手が生きるように、益になるように心がける
どんなに腹が立っていても自らを制していく鍵をにぎるのが
「聖書のみことば」であり、「聖霊の働き」なのです

聖霊については
エペソ人への手紙1章13節に以下のように記されています
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉
すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって
やがて神につける者が全くあがなわれ
神の栄光をほめたたえるに至るためである」


先に「御霊を消してはいけない」とのみことばを記しましたが
わたしたちが救いの保証として聖霊をいただくのは
あくまでも”神の栄光をほめたたえるに至る”ためであって
自分の栄光のためではない事をはっきりさせる必要があります

なぜなら
口では神を崇めつつも
心では「わたしがこんなに苦労して頑張ってきた」と
自分の誉れを第一とすることこそ
聖霊を消すことになってしまうからです

今ある幸いは一体だれのおかげなのでしょうか
神による助けがあるからこそ今日の自分がある・・と
心からそう思えるかどうか
わたしたちは日々問われています

もしその感謝の気持ちを忘れなければ
人は”思うべき限度を越えて思いあがる”という間違った道から遠ざかり
謙遜な、正しい歩みが保てるでしょう
更には
そんな神への感謝と信頼が
各々に与えられる問題(試練)に立ち向かう知恵と力を与えます

聖霊によって印せられたわたしたちは
神の栄光に誉れがあるために生かされていることを忘れず
心の中に悪魔がつけいるチャンスを与えないよう
日常生活において様々な事が起こる時
そこに負の感情が起きても
情けと憐れみと許しの心をもっていきましょう

自分の努力で感情をコントロールすることは難しいですが
信仰をもって踏み出す時
聖霊は働き、心を強くして下さいます

常に神の助けがあること信じ
キリストの心を持つ者として
正しい歩み方を学んでいくことができますように



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