今週のみことば


9月28日


「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし
御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら
どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ
一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい
何事も党派心や虚栄からするのではなく
へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい
おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを
あなたがたの間でも互いに生かしなさい
キリストは、神のかたちであられたが
神と等しくあることを固守すべき事とは思わず
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた
その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死にいたるまで
しかも十字架の死に至るまで従順であられた
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った
それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの
地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ
また、あらゆる舌が『イエス・キリストは主である』と告白して
栄光を父なる神に帰するためである」
(ピリピ人へ手の手紙2章1‐11節)

ピリピの教会へ手紙を出したパウロの願いは
キリストを信じる者となった人々が
利己心や虚栄心から行動するのではなく
キリストに習う愛の心を学んで、その思いを一つにし
お互いを思いやり、へりくだった者として成長してほしいというものでした
それこそが神が一番喜んで下さる道であり
パウロ自身が喜ぶことだったのです

5節の 「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを
あなたがたの間でも互いに生かしなさい」
という箇所は
文語訳では「汝らキリストイエスの心を心とせよ」と記されていますが
弱さを持った人間がキリストの心に近づいていくというのは
すなわち自分の感情をコントロールすることでもあります

その模範を残すために
神ご自身が権威を捨て、人の姿となって
おのれを低くし、自分の使命に忠実に最後まで従うところを
きちんと示して下さいました

人生には問題がつきもので
病気や困難で辛い思いをしたり、理不尽な目にあったりと
悩みは尽きません

そんな中、ただ絶望して自暴自棄になったり
あるいは怒りにまかせて行動したり
感情の起伏のままに振り回されていくのではなく
聖書のみことばを通して
見本となる生き方を学んで、実践していくことが大切です

「ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい
そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち
一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い
かつ、何事についても
敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい
このことは、彼らには滅びのしるし
あなたがたには救いのしるしであって
それは神から来るのである
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく
彼のために苦しむことをも賜っている
あなたがたは、さきにわたしについて見
今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである」
(ピリピ人への手紙1章27‐30節)


キリストの救いを受け、クリスチャンになった者であっても
”キリストのために、ただ彼を信じることだけではなく
彼のために苦しむことをも賜っている”

と記されているように
各々に試練があり、戦いの日々は続きます

聖書のみことばを読む時には
自分にとって都合の良い言葉ばかりを拾い読みすると
何となく希望が持てる気がするかもしれません
しかし、聖書にはこうして現実が記されており
現実の戦いをどう戦っていくのか学ぶことが重要なわけです

わたしたちの周りには色んな不都合な事(敵)が現れてくるでしょう
しかし、一番厄介な敵は自分の心の中にある「思い」です
”あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい”
とあるのは
心を整えて、自分の中の「思い」と戦っていくことであり
そのためには、一つの霊、すなわち「聖霊」によって堅く立ち
心の中の「思い」に振り回されないで
神よりの希望を持ち、祈って知恵の言葉と勇気を与えられ
賢く問題に対処していくことが大切です
そうすることこそ
わたしたちを惑わそうとしてくる敵にとっては大きな痛手となり
わたしたちには神の助けという証が与えられて
救われている事を確信するのです

「こういうわけで、わたしたちは
このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから
いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて
わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに
恥をもいとわないで十字架を忍び
神の御座の右に座するにいたったのである」
(ヘブル人への手紙12章1‐2節)


人は自分の考えや計画を正しいと思いがちではありますが
そこに起きてくる結果を真摯に受け止めて
考え方や対処方法を変えていく柔軟な心を持たなくてはなりません
それが「従う」ということです

キリストの心を中心として歩む人には
穏やかな暮らしがあります
一時的にプライドが傷つき、負けたように見えても
意外な神の働きを見る=神の証があるので
それによって確信を持つことができるのです

真のけんそんと愛の心で一つになっているピリピの教会の姿は
パウロにとって大きな喜びでした
わたしたちも、様々な戦いのうちにあって
同じ聖霊を持ち、心をひとつにして
神に喜ばれるものとして成長していくことができますように



<目次