今週のみことば


10月4日


「いのちと信心とにかかわるすべてのことは
主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている
それは、ご自身の栄光と徳とによって
わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである
また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている
それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ
神の性質にあずかる者となるためである
それだから、あなたがたは、力の限りをつくして
あなたがたの信仰に徳を加え
徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を
信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい
これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば
わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について
あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう
これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり
自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である
兄弟たちよ、それだから、ますます励んで
あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい
そうすれば、決してあやまちに陥ることはない
こうして、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが
あなたがたに豊かに与えられるからである」
(ペテロの第二の手紙1章3-11節)

イエスの名によるバプテスマ(救い)を受けたクリスチャンは
神を心から崇めることができるようにされています
ですから、ただ神を信じ、その導きに従って前進していけばいいのですが
現実にはそれが難しいのは
そこに欲があるからです

上手く行く時も、行かない時も
置かれたところで常に神を求めていくのは
”自分が第一”と考えるうちは難しいでしょう
わたしたちにとって”主”とはキリストのことであるはずなのに
”自分が第一”と考える時、主は自分自身になってしまうからです

自分の心が主になるから
結果的に、欲望にそった行動をしてしまうわけで
神の心を知り、神の性質に習う者として成長するなら
人を滅びに至らせる欲からのがれることができるのです

だからこそわたしたちは
神に習うクリスチャンとしての力をのばすように訓練し
神がどのような方であるかを学び
神の領域に踏み込むことがないように節度ある歩みをなし
節度ある歩みをするために
欲望がコントロールできるように忍耐を学ぶ必要があります
この時、自分を過信していると、行動が行き過ぎ
節度ある歩みも、欲望のコントロールも難しくなるでしょう

こうして
神の前にあって、我を抑え、忍耐し
神を敬いつつ
クリスチャンとしての愛の心を深めていくことは
神にあるとても良い状態なので
そこには自ずと、ふさわしい実が結んでくるわけです

しかし
反対にこういう考えや歩みがないなら
自分という人間が如何なる者であるかがわからないまま
ただ目先の欲に捕らわれて右往左往し
やがて神に救われたことさえも忘れてしまうでしょう

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は
そのさばきはきわめがたく、その道は測りがたい」
(ローマ人への手紙11章33節)


神を知ることも、その救いにあずかることも
すべては神の恵みによるものです
わたしたちはただその恵みの中に入れていただいた者であって
それをずっと忘れず
神の性質に習う者としての歩みを心がけ
神に選ばれていることを確かなものにするように
いっそう努めて行かなくてはなりません
そうすれば
わたしたちは決して罪に陥ることはないのです

列王記上11章には
多くの女性に心を奪われ
神を忘れていくソロモン王の姿が記されています
彼女たちのために多くの偶像を拝み
そのことについて神から直接戒められても
ソロモンは改めることをしませんでした

自分に力がつくと
人は神よりも自分自身が素晴らしいと思うようになり
やがて自分の心が第一となって
神から助けられたことも忘れてしまいがちです
それは、サタンが惑わしてくるため
自分が何をしているのかさえわからなくなってしまうからです

神を崇めなくなったソロモンにも
彼が生きている間、ずっと神の恵みはありました
だからこそ余計に彼は
最後まで自分の間違いがわからなかったのかもしれません

こうして自分を裏切る者にさえ恵みを与えて下さる神の心を思う時
その愛がどんなに深いものであるかを知ることができます
そしてわたしたちの人生もまた
自分の思うように行かないと不満を持っていても
実は神のご配慮のうちに守られているのは確かです

口先で感謝を唱えるクリスチャンは多いですが
それは本当に心からのものでしょうか
人は弱く「あなたが素晴らしい」と言われたいものです
その欲に打ち勝つために
”防波堤”となって下さる神をしっかり意識して
信仰をかたく保ち
世の波風を防いでいきましょう



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