今週のみことば
10月25日
「しかし、民の間に、にせ預言者が起こったことがあるが
それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう
彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み
自分たちをあがなって下さった主を否定して
すみやかな滅亡を自分の身に招いている
また、大勢の人が彼らの放縦を見習い
そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである
彼らは、貪欲のために
甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう
彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない
神は、罪を犯した御使いたちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ
さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた
また、古い世界をそのままにしておかないで
その不信仰な世界に洪水をきたらせ
ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された
また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し
不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし
ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された
(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして
その正しい心を痛めていたのである)
こういうわけで、主は、信心深い者を試練の中から救い出し
また、不義な者ども、特に、汚れた情欲におぼれ肉に従って歩み
また、権威ある者を軽んじる人々を罰して
さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである
こういう人々は、大胆不敵なわがままな者であって
栄光ある者たちをそしってはばかるところがない」
(ペテロの第二の手紙2章1-10節)
「にせ預言者」について、ヨハネの第一の手紙4章には
「すべての霊を信じないで、それらが神から出た霊かどうかを確かめなさい」
と記されています
「すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は
すべて神から出ているものであり
イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない」(2-3節)
神であるイエスが肉体をもってこの世に来られたことを信じない霊は
”反キリスト”の霊です
こうして、キリストの正しい教えからはずれた「異端」を持ちこむにせ預言者は
「羊の衣を着てあなたがたのところに来るが
その内側は強欲なおおかみである
あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう」
(マタイによる福音書7章15-16節)
「すべて良い木は良い実を結び
悪い木は悪い実を結ぶ」(17節)
いかにも良い人を装ってにせ預言者が入り込んでも
キリストを否定する彼らはキリストの心を持たず
身勝手に振る舞い、みだらな行いをし
それを大勢の人が真似てしまうために
この真理(=神)の道は非難されるようになってしまうのでした
このような”神から喜ばれない肉の働き”については
ガラテヤ人への手紙20章に記されています
「肉の働きは明白である
すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り
党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類である
このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない
しかし、御霊の実は
愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって
これらを否定する律法はない」(19-23節)
キリストを否定し、この”肉の働き”を持ちこむ「にせ預言者」や「にせ教師」は
わたしたちの心の中にも入り込んできます
この時、もしわたしたちが”神を敬う心”を保っていかなければ
そちらに巻き込まれていくでしょう
しかし、しっかりと信仰を保ち
”御霊の実”すなわちキリストの心を持って行こうとするなら
その人の実を見て、冷静に良し悪しを判断することができます
かつて不信仰な世界が洪水によって滅ぼされた時には
正しい人であったノアとその家族だけが助けられ
退廃した町ソドム・ゴモラが滅ぼされた時には
非道な者たちに悩まされていた義人ロトが助けられました
このことは
”不信仰に走ろうとする人々の見せしめ”として記され
わたしたちが神を忘れ、傲慢になることがないよう戒めると共に
”信心深い者を試練の中から救い出し”て下さることも約束しています
洗礼と聖霊のバプテスマの救いを受けていても
この世の中にはサタンがいて
様々な方法でわたしたちを惑わしてきます
その時には
わたしたちが日ごろからどのような心がけで生きているかが問われるでしょう
「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず
そのおるべき所を捨て去った御使いたちを
大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま
暗やみの中に閉じ込めておかれた」
(ユダの手紙6節)
自分たちに与えられた地位(領分)を守らず
自分たちが本来いるべき場所を捨てた天使たちは
神のさばきにより、暗やみへ落とされて行きました
わたしたちも各々
自分の置かれた場所で、自分の仕事をするように定められていますが
不信仰に陥り、心が惑わされると
神より与えられた使命を忘れ
”神から喜ばれない肉の働き”に心を奪われていくことになりかねません
マタイによる福音書25章に記された『タラントのたとえ』では
それぞれの能力に応じて与えられたお金をどのように活かすか
その姿勢と努力の結果が記されています
5タラントと2タラントをあずかった人たちは
それぞれ「すぐに行って」商売をし、財産を倍に増やしています
彼らは決して横着な歩みをせず
自分に与えらた仕事を忠実に行ったことで主人に喜ばれましたが
1タラントをあずかった人だけは働かず、お金を地に隠していたため
「悪い怠惰な僕」として
持っているものまで取り上げられてしまうのでした
この世の様々な惑わしの中で生きるわたしたちですが
自分に与えられている使命(仕事)に忠実に生き
また、忠実でない人々の行く末を戒めとして
その目を決して神からそらすことなく歩んでいきたいものです
<目次