今週のみことば
11月1日
「彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った
バラムは不義の実を愛し、そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた
ものを言わないろばが、人間の声でものを言い
この予言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである
この人々は、いわば、水のない井戸、突風にふきはらわれる霧であって
彼らには暗やみが用意されている
彼らはむなしい誇りを語り、迷いの中に生きている人々の間から
かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し
この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている
おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである」
(ペテロの第二の手紙2章15-19節)
ここでは「神を信じない不道徳な人々」の行いを
民数記22章に登場する預言者バラムの罪に重ねて記しています
神によってカナンの地へと導かれてきたイスラエルの民は
先住民を滅ぼし、その地を占領して行ったので
モアブの王バラムは非常に恐れ
預言者バラムによってイスラエルを呪ってもらう計画を立てました
モアブの長老たちが占いの礼物を携えてバラムのもとに行くと
彼は神に問い、その結果「モアブに行ってはならない」と告げられたので
そのとおりモアブの長老たちに語ったところ
今度はもっと位の高い人々がやってきて更にバラムに願い求めます
お金と名誉を前にして心ゆらぐバラムは
口では、自分は絶対に神の言葉に逆らわないと宣言しながらも
再び神に同じことを問います
すると、今回の神の答えは「行きなさい」とのことでした
ところが、バラムが出発すると神は怒り
御使いが道に立って行く手をふさぎます
しかし、この御使いが抜き身の剣を持っている姿はロバには見えても
欲に目がくらんだバラムには見えておらず
ロバが先へ進もうとしないことに腹をたてたバラムは
ついにロバを杖で打ちました
この時、神はロバの口を開かれ、ロバがしゃべったので
ようやくバラムは自分が置かれている立場に気づきます
こうして、やっと御使いの姿を見て、自分の間違いに気づいたバラムですが
彼は御使いに対して
「もし、お気に召さないのであれば、わたしは帰りましょう」
と告げています
すると、御使いは
「行きなさい。ただし、わたしが告げることのみを述べなければならない」というので
バラムはそのままバラクのところへ行くのでした
そこでバラクにイスラエルを呪うよう頼まれたバラムは
結局、イスラエルを呪うどころか祝することになります
この時には、バラムは何事もなく家に帰りました
しかし、彼は後に、イスラエルによって殺されています
神の言葉を取り次ぐ役目をしながらも
欲に目がくらんで、「行ってはならない」と最初に言われたことを蒸し返し
また同じ質問をしたバラムに
神は別の答えを与えています
ただし、最初に告げた御旨が変わったわけではありません
ところが、神の言葉よりも欲の方が勝ったバラムには
それは都合の良い答えでした
そんな彼の本心があらわになった行動を神は怒り
ものを言わないロバを用いてまで
”この予言者の狂気じみたふるまいをはばんだ”
とあるように
わたしたちの間違いに対しても何らかの警告があった時
それを謙虚に受け止めていけるでしょうか
もし、神にあって自分をコントロールできないとすれば
本当の神がわかっていないということでしょう
こうして、救いを受けたクリスチャンであっても、心の中では神を崇めていない人は
正しい道を離れて迷い出て行くことになるのです
「彼らが、主また救い主なるイエス・キリストを知ることにより
この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば
彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる
義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは
むしろ義の道を知らなかった方が良い
ことわざに『犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また泥の中にころがって行く』
とあるが、彼らの身に起こったことは、そのとおりである」
(ペテロの第二の手紙2章20-23節)
神を敬い、その正しい道に従っていくことを第一にすることなく
欲に目がくらんで真実が見えなくなったバラム
わたしたちもまた、世の中の様々な欲に支配され
神を忘れてしまうかもしれません
そして、すべてのものが満たされていないと満足できないようになり
不安と不平に満ちた日々を送るとすれば何とみじめなことでしょうか
このような状態に陥らないために大切なのは
ひとつひとつの小さな助けに対する感謝を忘れないことです
こうして、神が確かに働いて下さっている実感が常にあることで
日々の生活の中に平安があり、喜びがあり、感謝があり
その姿(生き様)が福音伝道へとつながっていくわけです
わたしたちにとってどうなることが一番いいのかは神が良くご存じですから
それはわたしたちが理想としている道とは違うかもしれませんが
一番幸いになることは間違いありません
わたしたちのことを一番わかっていて下さる神を信頼し
心をコントロールしていくことができますように
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