今週のみことば
11月15日
「愛する者たちよ、この一事を忘れてはならない
主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである
ある人々が遅いと思っているように
主は約束の実行をおそくしておられるのではない
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み
あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」
(ペテロの第二の手紙3章8-9節)
3-4節には
終りの時には”あざける者”たちが
『主の来臨はどうなったのか?!』と
その日がなかなか来ないことをあざけるとありますが
すべてのことができる神は
ひとりの人も滅びることのないように救いに至ることを望んでおられるのです
わたしたち人間は
どうしても自分の感覚で物事を判断しがちなので
この「再臨の日」のことまで自分の都合で考え
遅いと判断するわけですが
神の時はちょうど良い時に来ることを知る必要があります
この再臨の時だけでなく
神のなされることについては
人間の都合の良いようになるわけではありません
それを神におまかせするよりも
人の感覚を持ちこむことでイライラし
そこにサタンがつけこんでいよいよ心が乱されてしまうのです
例えば、同じお花を見ても
人には好き嫌いがあり
更にそれを生け花する際には「流儀」や「流派」もあります
これらはみな個人の感覚であって
どれが一番素晴らしいとか正しいとか感覚の問題を競っても意味はありませんが
こういう感覚の違いによって、感情のもつれが生じることもあるでしょう
これと同様に、聖書の世界でも
個人の感覚を持ちこむことで解釈の違いが生れます
そのため、ペテロの第二の手紙では
1章と3章に重ねて、聖書を自分流に解釈しないようにと記されています
「聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきではないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら、預言は決して人間の意思から出たものではなく
人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」(1章20節)
「彼(パウロ)は、どの手紙にもこれらのことを述べている
その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって
無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように
無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている」(3章16節)
これまでにもパウロが手紙で
キリストによる救いと、キリストに似る者としての歩みを勧めてきましたが
その手紙にはわかりにくい箇所もあることから
神がいかなる方であるかを知らない、信仰のない人々は
それを自分流に解釈して、自らを滅びへと招いています
また
祈りとは、自分の願い事を訴えることだと思っている人は
祈っても自分の思い通りにならない時に
「祈りがきかれない」と不満に思うでしょう
しかし、実際にはその祈りは神に聞かれていて
その上で、必要なことがその人に成されるわけです
そして
それが実はその人にとって最善の道であることを
わたしたちは知らなくてはなりません
そう信じることこそ信仰であり
自分の思い通りではなくても、祈りは聞かれていると
信頼して行くことが大切なのです
ひとりの人も滅びることがないようにと忍耐しておられる愛の神は
どうして信じる者を放っておかれるでしょうか
すでにわたしたちは神の大きな愛のうちにあって歩まされ
歩むべき道は自然と開かれていきます
そして、その道を一番良い道として受け入れて行くことこそ
神への信頼の証です
世の中には心を乱す者がいて
弱いわたしたちは負けそうになることはあっても
どんな時も神に希望を置いて進んで行きましょう
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