今週のみことば


1月18日


「神がわたしたちを召されたのは
汚れたことをするためではなく、清くなるためである
こういうわけであるから
これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく
聖霊をあなたがたの心に賜った神を拒むのである」
(テサロニケ人への第一の手紙4章7-8節)

4章においてパウロは
テサロニケの人々が、主イエスに結ばれた者として
みだらな行いや情欲を避け
”聖なる者”となるように勧めています

神がわたしたちを召して(救って)下さったのは
汚れたことをするためではなく
キリストに似る者として清くなっていくためなのですから
もしこの警告を拒むとすれば
それは
せっかくわたしたちの内に聖霊として宿って下さる神を拒んでいるのです

そして、「清くなる」ということの意味は
”キリストと共に歩む”、”キリストに従う”ということにつながるのですが
信仰をもって解釈しないと
ただ表向きの格好だけになってしまうので注意が必要です

まだキリストを知らなかった頃には
自分が考えて正しいと思う道を歩み
存在しない神々(世の中の思想)に捕えられ
不自由の中に閉じ込められていたわたしたちも
今はキリストを信じ
救われて
キリストに習う者として歩む道を与えられたのですから
実際にそのように歩もうとしないなら
キリストを信じているとは言えないのです

「従順な子どもとして、無知であった時代の情欲に従わず
むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって
あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい」
(ペテロの第一の手紙1章14-15節)


キリストに習う歩みとは何かを考えるにあたり
人間イエスとしての生涯を振り返ってみると
一言で言えば、そこには「欲」というものがありませんでした
多くの人間が欲するところの
金銭や地位や名誉といったものを追っていないのです
イエスご自身は神なのですから
神の力を利用すれば王にでもなれたのですが
定められた予言に従って生き
多くの奇跡を行い、人々を教育し
十字架の苦しみを通り、最後によみがえるのでした
この一連の歩みがわたしたちの生き様の見本です

各々が定められた道に歩み
与えられた能力を使って務めを果し
弱さも痛みもそのまま受け入れて
絶望の中からよみがえり、生かされていく
こうして
神に希望を置く、強さをもった生き方を周りに伝えていくのです

人間イエスとして
すべての人の弱さも痛みも辛さもご存じの神は
人の辛さを知っている方であり
決して非情な神ではありません

「そして、希望は失望に終ることはない
なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
(ローマ人への手紙5章5節)


みことばを信じ
どんな時も神に希望を置く者は
決して恥をかくことはないのです
そして
このことを信じで進んでいけるかどうか
わたしたちの人生が幸いに向くかどうかは
すべて一人一人の信仰にかかっています

キリスト教は単なる思想ではなく
神の言葉をそのまま体験するものですから
実際に踏み出してみないと神の働きは体験できないし
神の恵みも理解できません

良い上司が、部下の良い所を見つけて引きだしてくれるように
わたしたちの人生の上にキリストが居て下されば
各々の長所が引き出され
短所さえも変えられ、用いられていくでしょう

人間に完全な人はいませんから
人を見習っていると間違いもそのまま習ってしまうことがあります
だからこそ、間違いのないキリストに習う道を歩み
せっかく与えられている持ち味(個性)が生きる人生を歩みたいものです

「神の戒めを守る人は、神におり
神もまたその人にいます
そして、神がわたしたちのうちにいますことは
神がわたしたちに賜った御霊によって知るのである」
(ヨハネの第一の手紙3章24節)




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