今週のみことば


12月6日


「愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書き送るのは
新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである
その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言葉である
しかも、新しい戒めを、あなたがたに書き送るのである
そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである
なぜなら、やみは過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからである
『光の中にいる』と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである
兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまづくことはない
兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって
自分ではどこへ行くのかわからない
やみが彼の目を見えなくしたからである」
(ヨハネの第一の手紙2章7-11節)

ヨハネがこうして手紙で書いている事は
「新しい戒め」ではなく、「古い戒め」だとありますが
これはどういうことを言っているのでしょうか

ヨハネが語っている事は
だれも聞いたこともない新しい話ではなく
すでに聞いたみことばで、「真理」だということですから
内容は同じことになります

「戒め」といえば
モーセの十戒に記されているように
創造主である神を崇めることや
その心に習う道徳的な教えは
今も大切な「戒め」として生きているわけですが
人間は弱く、その戒めを完全に守ることができないので
たびたび罪を犯してしまうのでした

そんな弱さを抱えた人間が罪から救われるために
”救い主の誕生”という預言が与えられ
神が人となって生れ、全人類の罪を負って十字架にかかり、よみがえり
洗礼と聖霊による救いが与えられることで預言は成就します

こうしてイエスという「真の光」が来られたことで
「やみは過ぎ去り」、すなわち、律法(おきて)の時代は終わり
律法さえ守ればいいと、心のない、いわば盲目的になっていた状態から
「真の光=神の真理」が輝くところの
イエスを信じ、そのみことばに従って人々がお互い愛し合いながら生きる道が
ここに新たに開かれたのです

このように
かつての「古い戒め」
今では、イエスの名により救われることによって
律法(おきて)としてではなく、神の恵みのうちに守っていくように
「新しい戒め」となりました

しかし
「光の中にいる」、つまり救われて、神と共にあるといいながら
なおお互いの間でトラブルを起こしているのは
今でも「闇の中」にいるからで
律法さえ守ればいいという感覚から抜け出せず
どこにいても”神が見ておられる”との実感がなく
自分本位の生き方をして
心に神がいない、神を思わない人生になってしまっているのです

「子たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは
御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからである
父たちよ。あなたがたに書きおくるのは
あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである
若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは
あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからである
子どもたちよ。あなたがたに書きおくったのは
あなたがたが父を知ったからである
父たちよ。あなたがたに書きおくったのは
あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである
若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは
あなたがたが強い者であり、神の言葉があなたがたに宿り
そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである」

(ヨハネの第一の手紙2章12-14節)

この書簡は、イエスの名による洗礼を受けて救われた者
イエスが世の初めからおられる神であることを知った者
聖霊を受け、神の言葉を心にとめて、悪い者にうち勝つようにされた者
に対しておくられています

そして
このように、救われて『光の中にいる』者とされたクリスチャンに対して
ヨハネは以下のように戒めています

「世と世にあるものとを、愛してはいけない
もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない
全て世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは
父から出たものではなく、世から出たものである
世と世の欲とは過ぎ去る
しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」

(ヨハネの第一の手紙2章15-17節)

救いを受けていても、人の弱さは残っていて
この世に生きる限りは、人と比べ、競い合い、ねたみ
自分の面子を守ろうとして自らの思いで行動し
多くのトラブルや失敗を招いてしまうかもしれません

その時、自分の失敗を人のせい、あるいは神のせいにしないで
自分の落ち度を潔く、正直に認めていくことが
神の前にへりくだった歩みです

こうして、同じ世の中に生きていても
”世に立つ人は、おごり高ぶり
神に立つ人は、へりくだる”
そして
神と共に歩む人は
世の中のものにわずらわされず、どんな所に置かれても平安で
世の中においても「整えられた人」に成長していくのです

一方、世に立つ人は
「世と世の欲とは過ぎ去る」とあるように
それらのものは常に不安定なので
一時的に良い立場になったようでも
いつまでも平安を得ることはできません

「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている
草は枯れ、花は散る
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」
(ペテロの第一の手紙1章24節)


この世に生きている間は
クリスチャンであっても「肉」を持って生きていますが
決して肉に従って生きているわけではありません
肉のもの、つまりは、お金や権力といったものを武器とせず
神の力によってこの世で生きるための戦いに勝利して行くのです
さまざまな試練はありますが
どんな時も神はわたしたちに限りない愛を持って助け
必ず幸いへと導いて下さいます

「わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが
肉に従って戦っているのではない
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく
神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである」
(コリント人への第二の手紙10章3-4節)

様々な戦いの日々にあっても
その中で神を見出し
助けられたことを何度も思い出しながら
希望を持ち、感謝を持って進んで行きましょう



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