今週のみことば


12月13日


「子供たちよ、今は終りの時である
あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように
今や多くの反キリストが現れてきた
それによって今が終りの時であることを知る
彼らはわたしたちから出て行った
しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである
もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう
しかし、出て行ったのは
元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである
しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので
あなたがたすべてが、そのことを知っている
わたしが書き送ったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく
それを知っているからであり、また
すべての偽りは真理から出るものではないことを、知っているからである
偽り者とは、誰であるか
イエスのキリストであることを否定する者ではないか
父と御子とを否定する者は、反キリストである
御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい
初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば
あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる
これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって
すなわち、永遠のいのちである
わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった
あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので
だれにも教えてもらう必要はない
それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように
あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい」
(ヨハネの第一の手紙2章18-27節)

この書簡を書いたヨハネがまだ生きていた時代に
すでに「反キリスト」が現れて、世の終りが近づいている事が記されていますが
この「反キリスト」は現在も存在しており
わたしたちクリスチャンは彼らに惑わされないように気をつけなくてはなりません

そもそも「反キリスト」とは
キリストを信じるクリスチャンを装って、実はキリストに反対している者です
つまり、イエス=神であって
神が肉体をもって生まれ、救い主としてこの世に来て下さったと信じない者は
すでに御子としてのイエスも父としての神も否定しているのですから
真理から出ていない「偽り者」なのです

しかし、「聖なる油」、すなわち「聖霊」を受けている人は
神ご自身を自分の中に持ち、真理を知っているので
ヨハネが記した書簡の意味を悟ることができるでしょう

「偽り者とは、誰であるか
イエスのキリストであることを否定する者ではないか
父と御子とを否定する者は、反キリストである」
と記されているように
ここで大切なのは、父なる神=救い主イエス=聖霊だということ
それについては
ここでも繰り返し説明されていますが
これは「初めから聞いたこと」であって、変わらない真理です
そして
その変わらない真理(洗礼と聖霊のバプテスマ)によって人は救われ
「永遠のいのち」を与えられると約束されているのでした

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく
御子によって、この世が救われるためである」
(ヨハネの福音書3章16-17節)


こうして「永遠の命」を約束された者は
その内に「聖霊」を持っているので
聖霊が教えるように歩んで行きます
その時に基準になるのは「聖書のみことば」であって
人の作った言葉ではありません

「聖書のみことば」は「初めから聞いたこと」、すなわち変わらない真理ですが
人間には絶対正しい人はおらず
そのため世の中の知恵には間違いや偽りがあって
人はそれでいつも迷っており
これらを基準にすることはできないのです

このように
神は絶対の存在だが人間は絶対ではない
だから自分の我を通さず、神の導きに従うという生き方は
「彼(イエス)のうちにとどまって」いる人
すなわち、イエスを土台とした生活を示しています

そして
イエスが絶対に正しい(義なる)方であると知っている人は
その正しい歩みに習うことにより
本当に神から生まれていると分かるのです

「そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい
それは、彼が現れる時に、確信を持ち
その来臨に際して、みまえに恥じ入ることがないためである
彼の義なる方であることがわかれば
義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう」
(ヨハネの第一の手紙2章28-29節)


さて、ここまで「反キリスト」についてと
本当のクリスチャンがどうあるべきかを記してきましたが
洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われたクリスチャンであっても
教会にあって「反キリスト」のような立場になる恐れがあることを
追記しておきたいと思います

人間というものは、信仰によってのぼせることがあり
その結果
自分の熱心を誇り、自分を義とし、人を支配しようとする人が
教会にはしばしば現れてきます
この時、弱い人は、人を見て恐れますが
クリスチャンは神だけ恐れればいいのであって
人の言葉ではなく、神の言葉に立つという毅然とした態度が必要です
本当のクリスチャンは人を支配せず
人にも支配されません
ですから、人を支配しようとする人の行いはすでに間違っており
「義を行う者」ではないので
本物の信仰を持って歩む人でもないのです

このように、自分の義を主張し、自分の栄光を求めることは
決して神に喜ばれることではありません
人間は弱く、間違いはつきものですが
間違えたら開き直らずに、神の前に悔い改めていきましょう
その潔さこそが信仰の現れです



<目次