今週のみことば


12月20日


「わたしたちが神の子と呼ばれるためには
どんなに大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい
わたしたちは、すでに神の子なのである
世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である
しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない
彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている
そのまことの御姿を見るからである
彼についてこの望みをいだいている者は皆
彼がきよくあられるように、自らをきよくする
全て罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である
あなたがたが知っているとおり、彼は罪を取り除くために現れたのであって
彼にはなんらの罪がない
全て彼におる者は、罪を犯さない
全て罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である
子たちよ。だれにも惑わされてはならない
彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である
罪を犯す者は、悪魔から出たものである
悪魔は初めから罪を犯しているからである
神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである
すべて神から生まれた者は、罪を犯さない
神の種が、その人のうちにとどまっているからである
また、その人は、神から生まれた者であるから、罪を犯すことができない
神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである
すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない
兄弟を愛さない者も、同様である
わたしたちは互いに愛し合うべきである
これが、あなたがたの初めから聞いていたおとずれである
カインのようになってはいけない
彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである
なぜ兄弟を殺したのか
彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである」
(ヨハネの第一の手紙3章1-12節)

神が肉体を持ち、その罪のないかたが十字架にかかって流した血によって
わたしたちは救われ、神の子とされています
しかし、世の中の人々は神を知らないので
イエスによって救われたわたしたちの事も知りません

こうして洗礼と聖霊のバプテスマによって救われた者はすでに神の子ではあっても
これから自分がどうなっていくのかまだ示されてはいませんが
イエスが再びこの世に来られる時には
その姿と似る者となることを知っています
なぜなら、その時には神である救い主イエスの本当の姿を見るからです
そして、イエスによる救いを信じ、希望を置いている者は
イエスと同じく自分も清くあろうと努めるのです

神であるイエスは
全人類の罪を取り除くためにこの世に来られたのであって
元々彼には罪というものはありません
だからこそ、彼を信じ、彼によって救われて、その道に従って歩もうとする者は
「彼に居り」「彼に似る者」であるがゆえに、罪を犯さないのです

一方、悪魔は初めから罪を犯しているので
罪を犯す者は悪魔から出た者だ、と記されていますが
ここで「罪」というのは、「神を知らない」ことを指しています
神がどういう方であるかを知らないということは
その救いを知らず、「神の種」すなわち聖霊をもっていません
もし聖霊をもっていれば
「その人は、神から生まれた者であるから、罪を犯すことができない」
とあるように
神に似る者としての正しい生き方をしていくことができるわけです

これについては、エペソ人への手紙4章11-16節には
イエスによって
預言者や伝道者、牧師、教師といった人々が立てられて
聖徒たちを導き
各々がキリストの体として造り上げられること
そして
わたしたちが皆、イエスに対する信仰と知識でひとつになり
成熟した人間になって
キリストに似る者として成長すること
更には
人々の悪巧みによって起こる様々な教えの風に吹きまわされず
愛に根ざした生き方をして
あらゆる面でキリストに向かって成長すること
そして
体全体はキリストによって
あらゆる節々が補い合うことでしっかり組み合わせられ
愛によって造りあげられていくとあります

これは一言で言えば
「神にあって成長し、神に似る者となる」ということですが
その際には、聖霊に導かれた歩みをして
自分の心が成長するように心がけることが大切です

もし、自分がいつも一番でないと気がすまなかったり
人なんかどうでもいいと思っていたり
挙句の果てには、信仰生活を生存競争のごとくにして
ねたみやひがみや争いが絶えない人には
神の愛はそのうちにありません

更には
神に目を留めた生き方をしなければ
人は傲慢になり
自分が間違っていてもわからず、あるいは認めず
自分は常に正しいと信じこもうとするでしょう
これは
悪の心が善を殺そうとしている姿です

創世記において
神に対して正しい捧げ物をしなかったカインは
正しいことをしたアベルの方だけ神が受け入れたことに嫉妬し
アベルを殺してしまいました
神の前には、正しい事と正しくない事は明らかですが
神を信じなければ
悪い事でも平然としてしまう
それが人間の弱さなのです

だからこそ、人類には神の救いが必要でした
そして、神ご自身が救い主として人間の姿で生れたことを
お祝いするクリスマスが今年もやってきます

「主を恐れることは知恵のもとである
聖なる者を知ることは悟りである」
(箴言9章10節)


どうぞこの機会に
神がどのような方であるかをもう一度深く認識し
救いを与えて下さった大いなる愛に感謝して
神に似る者としての歩みを一歩一歩進めていきましょう



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