今週のみことば
2月22日
「わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように
あなたがたはエペソにとどまっていて
ある人々に、違った教えを説くことをせず
作り話や果てしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい
そのようなことは信仰による神の務めを果たすものではなく
むしろ論議を引き起させるだけのものである
わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と
偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている
ある人々はこれらのものからそれて空論に走り
律法の教師たることを志していながら
自分の言っている事も主張している事も、わからないでいる」
(テモテへの第一の手紙1章3-7節)
テモテへの手紙において、パウロは
エペソの地において、聖書の教えではない「異なる教え」を説くことのないように
そして、作り話や系図の話にも気をとられることのないように勧めています
彼の使命は、「キリストの福音」を伝えることにあり
人が勝手に造り出した話や、家柄を誇る話は
単に人々の間に議論を起こさせるだけのもので
人の救いに関する神のご計画には全く関係ありません
パウロがテモテに対して、みんなに伝えてほしいと願ったのは
”清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛”ですが
残念ながら多くの人はこれを重要視しませんでした
こうして
「神の心をもつ」という信仰の本来の目的から離れて
自分自身、神のことも「律法」の意味もわからないまま
律法の教師となろうとする人々も出てきます
そもそも、神がどのような方であるか知ったなら
今まで「益」と思っていたものが「損」と思うように
価値観が全く違ってくるのだと
ピリピ人への手紙3章7-8節において、パウロは語っています
「律法」を守ることについては落ち度がないとまで自負したパウロは
イスラエル民族としての血筋の誇りもあり
キリストを信じる人々を熱心に迫害した人でもありました
そんな彼が、キリストに捕えられた後には
神の本質がわかったので
自分がこだわってきたことも、やってきたことも
みな間違いであったと悟ったのです
「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する
主はわたしを忠実な者と見て、この務めに任じて下さったのである
わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった
しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき
無知なためにしたのだから、あわれれみをこうむったのである」
(テモテへの第一の手紙1章12-13節)
パウロはキリストを信じる者たちに対してひどいことをしてきましたが
それは彼が無知であったためなので、神のあわれみをこうむり
その後、キリストの福音を伝える者に任ぜられます
これは、キリストがいかに寛容であるかを
まず人々に対して示し
パウロの心が変わっていく様を見せて
救われた人の見本とするためでした
このように、本当の信仰の世界は
知識を鼻にかけ、論争するようなものではなく
愚かな人間が、神の憐れみによって救われることを信じ
正しい良心を保っていくことこそ重要なのですが
残念ながら、その正しい良心を捨てて
信仰が挫折していく人もあります
「しかし主は仰せになった
『さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも
わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である』」
(使徒行伝9章15節)
イエスに捕えられたパウロが
神による「選びの器」とされたように
イエスの名のよる救いを受けたクリスチャンもみな「選びの器」です
それぞれ、生きてきた場所も考え方も違いますが
救われた後は
この世の中で正しい良心を保って生きる戦いに出ていく事となり
名誉に固執し、お金にしがみつく人々の中で
神の知恵と力を武器として戦います
人の心は弱く
豊かになれば人をばかにし
貧しくなれば人をねたみ
追い込まれるほどに、心の貧しさが出るものです
しかし、神の心(良心)があれば
どんな時も心豊かになることができ
辛い境遇の中でも
神に対する心(信仰)を保つ事で
希望をもって前向きに進んでいくことができるのです
恨まない
つぶやかない
そのような心境になるよう願っていても
自分の力だけで、修行によってそこに至るのは難しいこと
信仰をもつことによって、人の心は生き
反対に、神から心が離れれば、自分の心も死んでしまいます
神のあわれみをこうむって今の自分がいることを忘れず
知識を鼻にかけて、本当の信仰から離れることがありませんように
世の中に横行する「異なる教え」に惑わされず
パウロのような潔さをもって
正しい道を歩んでいきましょう
<目次