今週のみことば


3月15日


「もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉
ならびに信心にかなう教に同意しないような者があれば
彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である
そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ
また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に
はてしのないいがみ合いが起こるのである
しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である
わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた
また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く
ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである
富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り
また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである
金銭を愛することは、すべての悪の根である
ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て
多くの苦痛をもって自分の身を刺しとおした」
(テモテへの第一の手紙6章3-10節)

キリストの言葉と、その信仰の教えは
人が正しく平安に生きていくために必要なものですから
もしそれを否定するなら
その人は傲慢で、議論に病みつきになっている人です

更には、こういう議論や口論にふけっている人々からは
ねたみ、争い、中傷、邪推といった言い争いが絶えず
そもそも、このような事は
精神が腐り、真理(神)にそむき
信心を利得の道として考えるような人々の間に起こるものです

信仰の道を、神を崇める道ではなく
自分が得をする(もうかる・物事が思い通りになる)道として考えるなら
それはすでにキリストの教えから離れており
そういう考え方で生きていると
いつも自分の心の中に「不満」が満ちて
こんなはずではない・・・との議論が生じるようになります

本当の意味で人間にとって益になるのは
信仰をもち、足ることを知ること
多くの人はお金持ちになることを願うものですが
お金を愛し、お金にとりつかれてしまうと
信仰から離れ、物事の本質を見失い、心は荒み
さまざまな罠に陥って行くでしょう

”ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである”
これが信仰者の基本です
だからといって、神は信じる者を決して惨めな目にあわせることはなく
必要なものは必ず与えられ
そこには立派に見えるような「装い」までついてくるのですから
それを本当に信じていくなら
なにもお金や名誉のためにあくせくする必要はありません
ましてや人のものをむさぼるようなことをするなら
”知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者ども”
という状態になってしまっているわけです

「しかし、神の人よ、あなたはこれらの事を避けなさい
そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい
信仰の戦いを立派に戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい
あなたは、そのために召され
多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである」

(テモテへの第一の手紙6章11-12節)

お金や名誉、地位や家柄等を重要視する世の中の価値観から離れ
神が各々に与えて下さる恵みを良しとして感謝するようになるには
心の中で多くの戦いがあるでしょう

自分の境遇を嘆き、ああだったら、こうだったらと不満ばかりの日々から
神に希望をおいて、その思いや考え方を変えていく時
人は、とらわれた思いや惑わしから自由になり
死人(絶望した人)の中からよみがえる
これが「永遠のいのちの獲得」であり
それを世の中の人々に示すために
クリスチャンは神から召されて救いにあずかったのです

いつも開かれる箇所ですが
ピリピ人への手紙3章において、パウロは、イエスに捕えられることで
それまで自分がしばられていた教えから解き放たれて
大事だと思っていたお金や名誉、地位や家柄等もゴミのように思えるようになりました

世の中では多くのものをもっている人が幸せだと思われていますが
ルカによる福音書の中には以下のように記されています

「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい
たといたくさんの物を持っていても
人のいのちは、持ち物にはよらないのである」
(ルカによる福音書12章15節)


このあと、ある金持ちの例え話が記され
どんなにたくさんの財産をもっていても
今夜その人の魂が取られたらおしまいなのだと
命は神のものなのだと教えています

だからこそ、クリスチャンは
お金や地位や名誉があろうが無かろうが
そういった世のものに左右されない生き方を身につけるべく
どんな境遇に置かれたとしても
神の知恵を宝とし、神を第一として歩む事が大切です

「わたしは乏しいから、こう言うのではない
わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ
わたしは貧に処する道を知っており
富におる道も知っている
わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」
(ピリピ人への手紙4章11-13節)


富んだ状態でも傲慢にならず
貧しくとも知恵のある生活を楽しみ
病気でも、問題があっても
いつも満足して暮らす秘けつを心得ていれば
人生はいつも幸せです

世の中では、何か条件がそろわなければ幸せになれないと思われていますが
自分の中に眠っている可能性を開くも閉ざすも
神の知恵を得ることができるかどうか
つまり信仰にかかっているのです

信仰しても自分の思い通りにならないからダメなのだと
心のうちに不信仰の論争が起きてこないように
神から与えられた道が、仮に不本意な道であっても
神に希望をおき
そこで自ら楽しく生きることを心がけて行きましょう

そうすることによって
多くの人々に、信仰者の幸いを証していくことができますように



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