今週のみことば


3月29日


「こういうわけで、あなたに注意したい
わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい
というのは、神がわたしたちに下さったのは
臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである
だからあなたは、わたしたちの主のあかしをすることや
わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない
むしろ、神の力にささえられて
福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい
神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが
それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基づき
また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜っていた恵み
そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである
キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである
わたしは、この福音のために立てられて、その宣教者、使徒、教師になった
そのためにまた、わたしはこのような苦しみ受けているが
それを恥としない
なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており
またそのかたは、わたしにゆだねられているものを
かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである
あなたは、キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって
わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい
そして、あなたにゆだねられている尊いものを
わたしたちのうちに宿っている聖霊によって守りなさい」
(テモテへの第二の手紙1章6-14節)

伝道活動に苦労しているテモテに対して
パウロはその信仰を認め、労苦をねぎらい励ます手紙を書いています

人々に正しい道を伝えていても
思い通り順調に受け入れられていくものではありませんが
心弱る時こそ、その内に頂いている聖霊を思い出し
その力によって支えられ、自らを奮い立たせていくようにと
パウロは、その聖霊の力を強調しながらテモテを励ましています

この「聖霊」は
”臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである”
とあるように
すべてのことに勝利する秘けつとなるもの
つまり、世の中では多くの人が権威ある人に頼ろうとしますが
どんな立派な人にも限界がある一方で
聖霊はオールマイティ(全能)だからです

もし人に依存していくなら
その人が死んでしまったり、あるいは感情のもつれなどから決別すれば
自動的に関係も断たれてしまい
希望も消えていくでしょう

神の一方的な招きによって救いに入れられたクリスチャンは
神に捕らわれた”主の囚人”であり
神のご計画によって置かれたところで
そこがどんなところであっても神に希望をおいて進んで行きます

わたしたちを救って下さった神がどのような方であるかを知るがゆえに
また、その方を信じるがゆえに
希望のないような状況にあっても心が折れないように
聖霊がしっかりと守って下さるのです

このように
どんな時にも神により頼み
神の助けによって今の自分があることを認め
それをきちんと周りにも証しできるようになりましょう
神の力に支えられている事は決して恥ずかしいことではなく
”臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊”である聖霊を頂いている人は
いざという時の強さや愛や慎み深さで
他の人にも良い影響(希望)を与えることができるからです

そんなオールマイティな聖霊が
自分の内側でいつも燃えている状態であるために必要なのは
わたしたち自身が
日常生活の面白くない事にいちいち左右されず
ぐずぐず思わず生きること
諸問題は尽きませんが
それに捕らわれずに生きていくことを学ぶのが信仰の道です

死に勝った神に救われているということは
悲観的な生き方から
楽観的な生き方へと方向転換させられたわけですが
それでもぐずぐずばかり思っていると
心の状態はどんどん下がり
たとえ良いことがあっても感謝もできなくなってしまいます

なかなか思うようにはいかない人生であっても
人にはそれぞれ「通るべき道」があって
その人にとって必要なことがそこで教えられ
それは後の人生に必ず役に立っていくのです

神の霊は、わたしが!と自己主張する、さしでがましい霊ではなく
常に慎み深いもの
一方、人は思うように物事が進むとすぐに思いあがり
自分のお陰で事が成っているかのように
己に栄光を帰そうとします
ここのところが変わっていかなければ
つまり、自分ではなく神に栄光を帰するようになっていかなくては
人生に「満ち足りる」日は訪れません

人生にあって「満ち足りる」とは
何不自由ない生活を送ることではなく
お金や物で判断できない世界です
何か派手なことはなくても
日々生かされている幸せを感じる=感謝する生活こそが
本当の意味で「満ち足りた」人生と言えるでしょう

「救い」とは
この世にあって、神にある幸いを味わうことです
いじめや誤解といった困難にあっても
そこから立ち上がる力が与えられるとわかっていれば
生きていくのは辛いものではありません

幸せがほしいと思うなら
自分の心をどこに向けるのか、考えることが大切です
目に見える幸せを求めればきりがなく
いつまでも満足がなく
どんなものでもいつかはあきてしまうもの

どんどん心が荒んで行く道から救われて
キリストの歩みに習う道に方向転換し
心豊かな人生を送るために
聖霊の働きを重視し、神により頼む信仰生活を通して
成長していくことができますように



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