今週のみことば
4月26日
「みことばを宣べ伝えなさい
時が良くても悪くても、それを励み
あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい
人々が健全な教えに耐えられなくなり
耳ざわりのよい話をしてもらおうとし
自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め
そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう
しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし
自分の務めを全うしなさい
わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている
わたしが世を去るべき時はきた
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである
かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう
わたしばかりではなく
主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」
(テモテへの第二の手紙4章2-8節)
ここは、死を前にしたパウロの、テモテに対する「最後の勧め」です
パウロは、どんな時も、どんな状況でも
「イエスの名による救い」と
「キリストの愛に根ざした正しい生き方」を伝えることに尽力すべきことを勧める一方で
このような「健全な教え」を受け入れられない人々が起こってくることも語りました
自分にとって耳の痛い言葉は受け入れ難く
やがて人々は自分に都合のよい話をしてくれる人を教師として集め
神の言葉よりも作り話の方へ関心が移っていくでしょう
「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務めを全うしなさい」
これはテモテのみならず
この福音をゆだねられたクリスチャンすべてに勧められている言葉です
イエスの名による救いを受けたクリスチャンであっても
自分の耳に痛い言葉は受け入れ難く
古い考え方や価値観を変えるのは容易ではありません
ともすれば、自分の心を満足させてくれる人を求め
自分にとって心地良い、都合の良いことを語ってくれる人に頼ろうとするのではないでしょうか
しかし、人が成長するために本当に正しいことを教えてくれる人の言葉は
たいてい耳に痛いもの
それを避けて、現実から離れた作り話に心を奪われていたのでは
自ら成長の機会を妨げているのです
世の中では、自分の心を満足させるために
同じ考えの人だけを周りに置こうとする人も見られますが
もしその考え方が間違っていたらどうなるのでしょう
正しいことを聞こうとする耳を持ち
教えられやすい柔らかい心を持つ人は幸いです
ある日突然キリストに捕えられたパウロの人生は
その時から大きく、全く反対の方向へと転換しました
それ以降、彼の心は揺らぐことはなく
どんな迫害も苦難も忍んで、福音を伝えることに尽力してきたのは
心にキリストに対する絶対の信頼があったからです
どんな目にあっても心が平安でいられるほど
その恵みは測り知ることができないほど絶大であることを
パウロは自身の生涯を通して人々に証明しました
それが
この最後の堂々とした言葉に表れています
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」
これは、パウロが自分の頑張りを誇って言っているのではありません
もし自らを誇っているなら
これから待ち受ける自分の悲惨な最後について
愚痴の一つも言いたくなるのではないでしょうか
イエスに出会い、救われて、その務めを全うする中で
彼は、昔は良かったと懐かしんだり
あの時ああしていれば・・こうしていれば助かったかも・・と
後悔するようなことは一言も言っていません
彼は、すべての戦いを神の恵み(知恵と力)によって戦ってきたことを知っていましたし
与えられた務めをここまで果すことができた自分を
真の神によって救われ導かれた自分の人生を
本当に幸いだと思っていたのでしょう
このパウロの堂々とした最後の姿は
やがて盛んな時期を過ぎ、一線を退く人々
あるいは、年老いて最後を迎える人々の模範となるものです
今はまだ若い人であっても
いつかは同じ道をたどることを思うと
すべての人の見本となる姿と言えるでしょう
自分の地位・立場を次世代に譲る時
「若い人に任せる」と言いつつも
実はいつまでも自分が支配しなければ気が済まない人は
周りを混乱させるばかりで益になりません
これは「自分の誇り」に執着しているからです
キリストに人生をゆだねたクリスチャンはどうあるべきなのか
聖書はさまざまな例えをもって語られています
「塩はよいものである
しかし、もしその味が抜けたら、何によってその味が取りもどされようか
あなたがた自身の内に塩を持ちなさい
そして、互いに和らぎなさい」
(マルコによる福音書9章50節)
「今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい
いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい
そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう」
(コロサイ人への手紙4章5-6節)
「主にあって受けた務めをよく果たすように」(同章17節)
多くの人は「自分の誇り」に執着し
自らが輝くこと、つまり自分の栄光を求めています
しかし
キラキラ輝くダイアモンドが実は自ら光っているのではないように
人もまた自ら発光するわけではありません
ダイアモンドは、太陽や人工の光を反映して輝き
人は、神の光を反映する時、輝くのです
そのため、自分の栄光(誇り)を求めて自ら光ろうとしても上手く行かず
反対に、神から与えられた務めを果たすべく忠実に従い、神に栄光を帰する人が
知らないうちに輝いていくのです
このように、神の光を反映していくことができるようになるために
内側に「塩」、すなわち神ご自身である聖霊をもち
神の知恵で味付けられた言葉を用いていきましょう
こうして、たとえ悪い時代であっても賢く生きていくなら
人に役立つ「地の塩」となって
真の神の存在を証明する人となるのです
人がこの世に生きる限り、そこには多くの戦いがあり
それを一人で戦うのは非常に難しい
だからこそ、神と共に歩み、日々の戦いを乗り越えることが大切です
世の中の恵みには賞味期限があって
一時的な成功も生涯は続きません
また、世の中の人はしばしば裏切り、失望することもあるでしょう
しかし、神の恵みは永遠で、聖書のみことばは裏切りません
多くの問題を抱えていても
みことばによって力と知恵を与えられ
世の中の知恵に惑わされず、ケンカせず、賢く対処していくのが
「塩」をもった人の歩みです
自らを誇らず、最後まで使命を全うしたパウロに習い
わたしたちも、聖書のみことばに従った生き方でもって
ひとりひとりに与えられた務めを最後まで全うしていきましょう
<目次