今週のみことば
5月10日
「こういうわけだから、わたしたちは聞かされている事を
いっそう強く心に留めねばならない
そうでないと、おし流されてしまう
というのは、御使いたちをとおして語られた御言が効力を持ち
あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば
わたしたちは、こんな尊い救いをなおざりにしては
どうして報いをのがれることができようか
この救いは、初め主によって語られたものであって
聞いた人々からわたしたちにあかしされ
さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより
また、御旨に従い聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである」
(ヘブル人への手紙2章1-4節)
ヘブル人への手紙は、まず1章において
神ご自身が肉体を持って生れた「御子」としてのイエスについて
「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって
その力ある言葉をもって万物を保っておられる」と記されており
それゆえ
イエスが直接語られた「救い」に関するみことばを決して軽視してはならないことが
2章では記されています
この部分はしっかり心に留めておかなければ
さまざまな説に惑わされていくことになるでしょう
ヨハネによる福音書3章の5節には
「イエスは答えられた『よくよくあなたに言っておく
だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない』」
同じく13章5節には
「それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い
腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」
そして8節では、驚いて断ろうとしたペテロに対して
「もしわたしがあなたの足を洗わないなら
あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と語られているように
『水と霊=洗礼と聖霊のバプテスマ』と『洗足式』という
イエスご自身が直接語られた「尊い救い」について
それを聞いた人々が後の人に語り継いでいったのでした
そして、この救いを受けた人々には
実際に、しるしや不思議、聖霊の賜物が御旨のままに与えられ
この救いが本物であることが証明されたのです
今わたしたちは目の前にイエスご自身の姿を見ることも
声を聞くこともありませんが
聖書を通して神の言葉を直接聞くことができるわけです
それをもし適当な聞きかたをするなら
大事な話を聞き流し
人生のポイントを聞き逃してしまうかもしれません
聖書の教えることと「人の思い」は一致しないことも多く
気にいらないからと聞き流してしまえば
せっかくの神の言葉も生きてきませんから
それは救いのチャンスを逃すようなものなのです
聖書のみことばに従って
『水と霊=洗礼と聖霊のバプテスマ』と『洗足式』を受けた後も
人生にはさまざまな試練があって
その一つ一つをどのように乗り越えていくのかという知恵も
神の言葉からいただきます
人間の知恵には限りがありますが
人間と同じ肉体を通られたイエスには
すべての知恵があるのみならず
人間の持つ弱さを知るがゆえの配慮があって
信じて求めていく人には、問題に対処する方法が必ず与えられるのです
「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので
イエスもまた同様に、それらをそなえておられる
それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自身の死によって滅ぼし
死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを解き放つためである」
(ヘブル人への手紙2章14-15節)
ここにある「死の恐怖」とは
文字通り命を失う意味での「死」のみではなく
お金や健康、地位や名誉が失われる不安も示しています
多くの人はこういった心配事に日々悩んでふりまわされ
死の恐怖にとりつかれた奴隷のようになっており
そのような状態の人々を解き放つ(救う)ために
イエスご自身が十字架上で血を流して死に
その死によって、サタンを滅ぼし万民を救う道を開かれたのでした
しかし、この十字架の血にあずかる洗礼を受けて救われた後も
人間の心はすぐには変わらず
お金や健康、地位や名誉が失われる不安から解き放たれるように
聖霊の助けを得て
聖書のみことばに教えられながら
正しい道へと導かれる必要があります
そのために必要なのは神への信頼、つまり信仰です
「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ
試練の中にある者たちを助けることができるのである」
(ヘブル人への手紙2章18節)
わたしたちの信頼する神は
人間のすべての苦しみを知る方です
だからこそ、助けを求める時には答えがあり
いよいよ信頼は深まっていくのです
クリスチャンにとっては、信仰がすべてであり
神から信用されるために必要なのが神への真心
信仰生活はそういった心の積み重ねと
聖霊の導きに従う柔軟性が重要です
「神(イエス)にある人」とは
絶望の淵に置かれるようなことがあっても
そこで希望を見いだしていくことのできる人
困った時にはとにかく神に祈る
ぐずぐず言いつつも
みんな今までそうして試練を過ごしてこれたのではないでしょうか
そのことを思い出し、認めて
神に希望をおくことを第一としてこれからも歩んで行きましょう
人は愚かなので
もし神に希望を置かなければ人間に希望をおき
自分の考えで進み
神からはどんどん離れてしまうものです
ところが、人が「これが絶対だ」と思う道は得てして失敗も多く
自分の進むべき道を神によって導かれなければ
いつまでも「さすらいの旅」は終わりません
世の中は刻々と変わり
そこに対処するには知恵が必要です
もしそこで信仰をもった歩みができれば
人生にいつも神を近くに感じることができるでしょう
愛を持って人間を導く神は
人を耐えられないところには置きません
必ずそこには救いがあって
低くなった人を神は高くして下さいます
外観を重視する世の中の価値観や人の考えに振り回されず
自分の生きざまを神に任せ
各々に与えられた可能性が生きる生き方を選んでいくことができますように
<目次