今週のみことば


6月7日


「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された」
(ヘブル人への手紙11章1-2節)

ここにある「望んでいる事がら」とは
一般的に人が求める「目に見えるもの」つまりお金やモノ等ではありません
ローマ人への手紙8章24節には
「わたしたちはこの望みによって救われているのである
しかし、目に見える望みは望みではない
なぜなら、現に見ている事を、どうしてなお望む人があろうか」

とありますが
ここにおいての「望み」は、23節によれば、キリストによる「救い」であり
すなわち洗礼のバプテスマを受けて、神の子としての身分を与えられることにより
この身の罪が許され、神と共に歩む幸いな道に入ることを示しています

先の見えない人生にあって、多くの人はそこを不安と共に過ごすわけですが
信仰者は、キリスト(救い主)であるイエスの救い(助け)を確信し
目の前に開かれる道を「神のご計画の道」として受け入れ
それが自分の思い通りでもなく、都合の悪い道であっても
あるいは、どうなるのか予想のつかない未知の世界であっても
神は必ず幸いへと導かれることを信じて歩みます
そして、その行く先々で神の働きがあらわれて
信じている事が本当なのだという証が立てられるのです

ヘブル人への手紙11章には
救い主の出現を待ち望み、その信仰を堅く保って歩んだ人々
アベルから始まり、エノク、ノア、アブラハム、サラの、神による証が記されています

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない
なぜなら、神に来る者は
神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることを
必ず信じるはずだからである」(6節)


この昔の信仰者に共通しているのは
「神の存在」と「神を求める者に報いて下さること」を信じていることです
だからこそ彼らは常に神に聞き、求め、近づこうとしながら歩み
その言葉を受け入れて(従って)幸いを得ました

「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ
まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び
そして、地上では旅人であり寄留者であることを自ら言いあらわした」(13節)


彼らはみな神を信じ、その「救い」を切望し
それがやがて与えられることを信じて死んで行きました
キリストの出現により、人々に洗礼のバプテスマを受ける「救い」の門が開かれて
天国を継ぐ者となる約束が与えられるのはまだ先のことですが
彼らはすでに「天のふるさと」を望んでいたのです(16節)

この章を読む時には
昔も今も変わらず、「信仰」がいかに大切なものであるかがわかります
現在わたしたちにはすでにキリストの救いが与えられ
実際に洗礼と聖霊のバプテスマにあずかる幸いを得ているわけですが
いかに「信仰」を堅く保って生きていくかが
この世にあっても天国を体験する秘けつとなり
キリストに習う生き方を実践することがクリスチャンとしての歩み方です

わたしたちは病気や様々な問題といった試練に会うと、まずお祈りするとして
その見本となるのは十字架を前にしたイエスの「ゲッセマネの園の祈り」でしょう
誰でも嫌なことは体験したくはありませんが
そこに必ず「あなた(神)の御旨をなしたまえ」との信仰を交えること
つまりは、嫌だけど受け入れる時にはきっと助けがある、と信じることが重要で
わたしたちはその信仰を見られているということです

信仰によって神にすべてをまかせた人は
様々な問題や不安を乗り越える力や知恵が与えられて
ともすれば絶望して滅びそうになっていたその身が活かされ
「命を得る者」となることができます

人は誰でも、愛され、認められることを求めていますが
そういうものも、人間的な計画や計算ではなく
神によって確保することができるなら
それも「命を得る者」「天国を体験する者」の姿でしょう

「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない
その確信には大きな報いが伴っているのである
神の御旨を行って約束のものを受けるため
あなたがたに必要なのは忍耐である」
(ヘブル人への手紙10章35-36節)



信仰の世界では、自分の心が神ではありません
だから、自分の思い通りにならなければ「神がいない」と思うのは
単に神を信じていないからです

『あなたはイエスさまが好きですか』

信仰とは、単純に考えればこの問いに「はい」と答えることかもしれません
そして、その助けを体験するたびにいよいよ好きになり
感謝と共にもっと近づきたいと思う
もっと神を知ろうとして教会へ行く
それが本当の信仰生活ではないでしょうか

人生の戦いの中に一人置かれても絶望せず
あるいは上手く行っているからと思いあがることなく
自分で自分を飾ろうとあくせくせず
神によって成されることに感謝して
この世で「天国を体験する者」として歩むことができますように
何よりも信仰を大切にしていきましょう



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