今週のみことば


7月12日


「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである
もし言葉の上であやまちのない人があれば
そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である
馬を御するため、その口にくつわをはめるなら
その全身を引きまわすことができる
また船を見るがよい
船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても
ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される
それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する
見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか
舌は火である
不義の世界である
舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが
全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる
あらゆる種類の獣、鳥、はうもの、海の生物は
すべて人類に制せられるし、また制せられてきた
ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない
それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている
わたしたちは、この下で父なる主をさんびし
また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている
同じ口から、さんびとのろいとが出て来る
わたしの兄弟たちよ、このような事は、あるべきではない」
(ヤコブの手紙3章2-10節)

体の中においては小さな存在である舌は
しばしば「大言壮語」します
それは、心の中にある欲、つまり自らを高くする傲慢な心があるため
分不相応な(自分の能力を越えた)大きなことを語るのです

このような思いあがった心を持ちつつ
一方で、自分を正当化しようとして都合よく神の名を用いれば
同じ口から、神を賛美する言葉と、人を呪う言葉が出てきます
それは本来「あるべきではない」事ですが
残念ながら人間はその弱さから自分の力で逃れることは難しいのです

「あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起こるのか
それはほかではない。あなたがたの肢体中で相戦う欲情からではないか
あなたがたは、むさぼるが得られない
そこで人殺しをする
熱望するが手に入れることができない
そこで争い戦う
あなたがたは、求めないから得られないのだ
求めても得られないのは、快楽のために使おうとして悪い求め方をするからだ
不貞のやからよ、世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである」
(ヤコブの手紙4章1-4節)

一体わたしたちの心の中には何が原因で戦いが起こるのでしょうか
それは、「欲」があるからにほかなりません
神はわたしたちにとって必要なものを必ず与えて下さるにもかかわらず
自分が何者であるかわからないまま、自らを高くし
過分なものを求めるため、結局望んでも与えられないのです

また、3章16節には
「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがある」
とあるように
そのような思いを持ち続けるのが「世を友とする者」であり
それは神から出たもの(平和・寛容・温順・あわれみ)に反した存在なのでした

しかし、人の心は弱く
自分の力で悪い思いを消すことはできません
だからこそ、「神の力強い御手」による助けが必要で
その上で自らを低くするなら
信仰によって心を制することができるのです

「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい
時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから
自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい
身を慎み、目をさましていなさい
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように
食いつくすべきものを求めて歩き回っている
この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」
(ペテロの第一の手紙5章6-9節)


体の中で小さな存在である舌によって、人はしばしば大きな過ちを犯しますが
同じく目には見えない小さな存在である「聖霊」や「信仰」は心を正しく制御し
その人の人生を左右します

わたしたちの日常には腹の立つ理不尽なこともあるでしょう
そんな時こそ、聖霊の存在を思い出し
穏やかに、賢く、知恵のある行動をとることが大切です

人間同士の問題の多くは口から出るものですから
まずは、質問の口調ひとつで場の空気も変わることをわきまえ知り
どうすることが神に喜ばれることであるかを冷静に考えてみましょう

愛の神は、すべてのことを愛を持ってなし遂げて下さいます
わたしたちが何が何でも自分を正当化しようと固執せず
事の成り行きを神にまかせていくなら
心をかき乱しに来るサタンにも負けることはありません

多くの人は自分の思いと計画で人生を歩んでいます
しかし、明日の事さえ人にはわからない
そんな危い存在である自分の弱さを隠し
野心をいだいて大それたことを語り
間違いだと分かっていても改めないのであるなら
その責任は自分に返ってくるものです

「よく聞きなさい
『きょうか、あす、これこれの町へ行き
そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう』と言う者たちよ
あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ
あなたがたのいのちは、どんなものであるか
あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない
むしろ、あなたがたは
『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』
と言うべきである
ところが、あなたがたは誇り高ぶっている
このような高慢は、すべて悪である
人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である」
(ヤコブの手紙4章13-17節)


ヨシュア記2章において、イスラエルの偵察隊を助けた遊女ラハブは
エリコの城壁が崩れた時、信仰によって助けられました

人から卑しいとされる仕事をしていたラハブですが
イスラエルの神がそれまでどんな奇跡を行ったのかを伝え聞き
難攻不落と言われるエリコであっても必ず崩されるであろうと信じていました
だからこそ彼女は危険を冒してまでもイスラエル人を助けたのです
そして、約束通り「窓から赤い紐をたらす」ことまでしっかり守り
それを目印にして、彼女も親族も助けられるのでした

こうして、目には見えない「信仰」が彼女を救ったのです
ここにわたしたちも注目し
神の奇跡の数々を聞いたなら、それを心に留めて自分の信仰の糧としていきましょう

そのためにも、教会にあって心が整えられ
どうすることが正しいのかを判断するために
「信仰」に堅く立ち、「聖霊」の導きに従っていくことができますように



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