今週のみことば
8月9日
「それだから、心の腰に帯をしめ、身を慎み
イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい
従順な子どもとして、無知であった時代の欲情に従わず
むしろ、あなたがたを召して下さった聖なる方にならって
あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい
聖書に『わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである』
と書いてあるからである
あなたがたは、人それぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには
地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである
あなたがたのよく知っているとおり
あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは
銀や金のような朽ちる物によったのではなく
きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである
キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが
この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである
あなたがたは、このキリストによって
彼を死人のうちよりよみがえらせて栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり
したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである」
(ペテロの第一の手紙1章13-21節)
洗礼と聖霊のバプテスマを受けてキリストのものとなったクリスチャンは
「たましいの救い」を受けているという恵みを信じ
キリストのご再臨の日を待ち望んで生きていきます
まだこの救いにあずかる前は
本当の神を知らない「無知」な状態でしたから
世の中の人々と同じように
お金や人の力に頼り、欲に従って生きていました
しかし、今はもう救いを受けてキリストのものとなったのですから
わたしたちを召して下さった聖なる方(=神)に習う者としての
正しい歩みを求められています
そして、この天地を創造をなさった万能の神を「父」と呼ぶ立場とされたからには
この地上に生きている間は
神に対する畏敬の念をもって過ごさなくてはなりません
なにしろ、この世にあってわたしたちが救われるのは
金や銀のような朽ちるものによるのではなく
きよく尊いキリストの血によるものであって
そのキリストこそ、天地創造をなさった神ご自身なのです
しかも、この尊い救いを
人はみな無償でいただけるわけですから
この恵みについて今一度よく考え、感謝し
心を引き締め、身を慎んで
決して思いあがることのないように日々歩んで行く心がけが大切です
「そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める
あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない
彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ
自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして
放縦に身をゆだねている
しかしあなたがたはそのようにキリストに学んだのではなかった」
(エペソ人への手紙4章17-20節)
神を知らない異邦人は、心が硬く
神よりもお金や権力を信じ、それらを頼みとして求めています
更には、神の知恵がないため、何が正しいのかわからなくなり
その行動はどんどん間違った方向へと流れて行ってしまうのです
しかし、救われたわたしたちは、潔く方向転換し
キリストに学んだ生き方(価値観)に変わらなくては
本当の平安を得ることはできません
そもそも、人の一生ははかなく
どんなに栄えた人であっても、いつかはその身も滅びていきますが
神の大きさは限りなく
その救いの力は絶大であり
キリストの再臨の日には
この「救い」が本物であったことを実感することができるわけです
「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ
偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから
互いに心から熱く愛し合いなさい
あなたがたが新たに生まれたのは、朽ちる種からではなく
朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生ける御言によったのである
『人はみな草のごとく
その栄華はみな草の花に似ている
草は枯れ、花は散る
しかし、主の言葉は、とこしえに残る』
これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」
(ペテロの第一の手紙1章22-25節)
「真理」すなわち神の言葉に従って
「たましいの救い」である洗礼と聖霊のバプテスマが与えられ
人は新たに生まれ変わることができるようになりました
世の中のものはみないつかは朽ちていきますが
神の言葉は永遠に朽ちず、その約束は変わりません
この世にあって、人々が捕らわれているもの(思想や価値観)から離れ
救いを受けることにより神の価値観の中で生きる者とされるとの「良い知らせ(福音)」を信じ
実際に救いを受けた人は、神よりの「希望」を得ています
この「希望」は神から与えられたものなのでいつまでも存続し
どんな状況に置かれても
救われているという希望によって平安が与えられるのです
(すなわち、救い=希望ということ)
「神は、神を愛する者たち、すなわち
ご計画に従って召された者たちと共に働いて
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙8章28節)
いかなる時にも「万事を益となるようにして下さる神」に救われているということは
どんなに大きな希望でしょうか
そして
そのような幸いな救いにあずかっているからには
心が神から離れて、自らが思いあがっていくことがありませんように
心を引きしめ、神の言葉に従って歩んで行きましょう
一方、「万事を益となるようにして下さる」からといって
自分の欲に任せて好き勝手にすればいいというものではありませんから
”むしろ、あなたがたを召して下さった聖なる方にならって
あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい”
とのみことばを心に留めて、従っていきたいものです
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