今週のみことば


8月30日


「僕たる者よ、心からのおそれをもって、主人に仕えなさい
善良で寛容な主人だけにではなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい
もしだれかが、不当な苦しみを受けても
神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである
悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか
しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば
これこそ神によみせられることである
あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず
正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために
十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた
その傷によって、あなたがたは、いやされたのである
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが
今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである」
(ペテロの第一の手紙2章18-25節)

”気むずかしい主人に仕える”
”不当な苦しみをも受け入れる”
これらはなかなか受け入れられる内容ではありませんし
ともすれば、人にいいように使われるだけにもなる可能性もありますが
これは決して自分の頑張りでするのではなく
”神がついているのだから大丈夫”と
置かれたところで自分のするべき務めを果たしていく時に
必ずそこには必要な知恵と助けが与えられるということです

人生には、なぜ自分がこんな苦しみに合わなくてはならないのかと
疑問に思うような出来事も起こります
しかし、そんな時こそいよいよ神に希望を置いてその道に従っていく
それこそが、神によみせられる=御旨にかなうことなのです

そのためにキリストご自身がまず、苦しみにあう人の模範となるように
すべてのことを神にゆだねる姿勢・生き様を自ら体現し
十字架にかかり、血を流すことによって
万民が救われる道を開かれたのでした

そして、この救いにあずかったわたしたちは
どんな事が起きても何とかなるとの思いを持って
悩みの中もいかにふるまうべきかを聖霊によって教えられ
それに従って行動することで不思議な助けを体験することができるのですから
もう何も迷うことはありません

創世記37章からは
不当な苦しみに会いながらも、神を信じ
次々と開かれる道に忠実に従ったヨセフの生涯が記されています

両親に大変愛されながらも兄弟のねたみによって
エジプトで奴隷として売られたヨセフですが
彼には神がついていましたから、彼のすることはすべて祝され
それを見た主人は彼を厚遇します
ところが、そんな平穏な日々が一転する出来事が起こりました
ヨセフは主人の妻によって陥れられ
王の囚人をつなぐ牢獄へと入れられてしまったのです

しかし、牢獄にあっても神はヨセフに恵みを与えたので
彼はそこでも厚遇され、自由を与えられていました
こうして、どんなところに置かれてもヨセフは自分の務めを果たし、祝されますが
ある日、王の怒りをかって牢獄に入れられた役人二人の夢を解き明かします
すると、その解き明かしの通り、助け出されることになった役人は
ヨセフから頼まれていたにもかかわらず
彼が不当な扱いを受けている事を王に告げることを忘れていました

それから実に2年もたってから
今度は王が不思議な夢を見たことから
ヨセフの存在が思い出されます
そして彼は王の前に引き出され、夢の内容を解き明かし
これから7年間の大豊作の後、7年間の大飢饉がおこることを告げ
そのために今から賢い人を立てて備えをするようにと助言しました
これを聞いた王はヨセフには神がついていると認め
エジプトの宰相の地位を与えて、その任にあたらせたのでした

自分の意志とは異なるところで境遇が変わっていくヨセフでしたが
常に変わらないのは神への強い信仰でした
不当な扱いを受けても、理不尽な目にあっても
それでも受け入れて、なおかつ神の知恵を受けて賢く潔く従っていく
その時には、必ず神の祝福が伴い
物事は幸いへと導かれて行くのです

ところが、人は目先の損得に心を奪われがちで
自分に不都合なことを受け入れるのは難しいのですが
聖霊の導きがあれば、そしてそれに従えば
損得を考えないで動ける力を神から与えられます
すると
ギスギスしていた相手の心も変わり
物事は良い方向へと回転するようになるので
いよいよ神に感謝して、どんなところも平安に乗り越えられるように
信仰が成長するのです
一方、損得で動くと、人間性が卑しくなって
信頼が得られず、物事は良い方向へは進みません

このように、神への信頼こそが人を幸いへと導くポイントとなるわけですが
人間はしばしば信頼する相手を間違えてしまいます
例えば、恋をする人は盲目になりがちで
相手の本当の姿を見極めることが難しいように
人生に何があれば幸せなのかがわかるためには
まず本当の神を愛し、従っていくことが必要なのです

人生はただ自分が楽しければいいのではなく
本当の幸せは心の平安にあることに気づく人は幸いです
そして、本当の平安を与えてくれる存在は神しかありません

かつて、彼ほどの知恵者はいないと言われたソロモン王は
父ダビデに習って唯一の神をあがめていた間は正しい判断ができましたが
心を奪われる女性が次々現れてきた時に
彼女たちの信じる神々を受け入れてしまいました
このソロモンの間違いによってやがて国は分裂し
更にその子どもたちの世代になるとますます神にそむくようになり
最後にイスラエル人の国は滅びていくのです

せっかく神によって祝されていたのに
人間の心は何と弱く
その力も栄華も何とはかないことでしょうか
だからこそ、キリストの十字架による救いがあり
わたしたちは誰でもその救いにあずかることができるのです

そして、救われたから何も問題がないのではなく
救われているからこそ
神が共に居てくだされば、どんなところに置かれても大丈夫と
そう堅く信じて、最後まで従っていきましょう



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