今週のみことば


9月20日


「そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める
わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり
また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である
あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい
しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし
恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい
また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで
むしろ、群れの模範となるべきである
そうすれば、大牧者が現れる時にはしぼむことのない栄光の冠を受けるであろう
同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい
また、みな互いに謙そんを身につけなさい
神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである
だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい
時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから
自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」
(ペテロの第一の手紙5章1-7節)

ここでいうところの「長老」は現在の「牧師」を意味しており
神の羊をあずかり、正しい道に導く役割を果たす上で
注意すべき点が記されています

また、後に「若い人たち」と記されているのは「信者」の立場ですが
「長老」にしても、「若い人たち」にしても
わたしたちはこれを自分のこととして読み取って行くと
非常に大切なことを教えられるところでもあります

”あなたがたにゆだねられている神の羊の群れ”
まずこれを、わたしたち自身の心と考えてみましょう
各々の心の向け方は自分に任されていますから
誰に強いられるでもなく、ただ神に従って
卑しい利得のためではなく、心からの良い行いができるように
自らを整えていくことが大切です

しかし、人間的な考えで良い行いをするというよりも
ここで重要なのはその心をよりいっそう神に向けるということ
人間は自分が良かれと思っても
すべてのことが正しいわけではありませんから
自分を義とせず、我を通さず
自分の心を制するには神の助けが必要であることを認識すべきです

もし、自分が常に正しいと勘違いしているなら
やがて
”ゆだねられた者たちの上に権力をふるう”ことになりかねません
これは、家庭においても教会においてもトラブルの元となるものです
反対に
”ゆだねられた者たち”の心が、神への信頼で一致しているなら
お互いの関係は平和であり
そのような生き方はやがて”群れの模範となる”のです

親子関係においても
子は親の姿を見て育ちますから
自分が絶対の存在にならないように、間違いは潔く認め
神の知恵に頼る、謙遜な生き方を学んでいきましょう

世の中の多くの人は自分の面子にこだわり
自分の栄光を求めようとしますが
大変な所に置かれた場合も
クリスチャンは、イエスの名が崇められる道を選ぶことが大切です
つまり
残念なことがあっても希望を失わず
すべてのことを幸いにして下さる神を信じ
なぜこんなことが起こるのか?!と恨まない
神にあってなされることはみな良しとする・・・
すると、その時どんな事が起こってくるでしょうか
神は想像もしなかった道を開かれる方です
この「神の業」を体験するのがクリスチャンの人生であり
それは「証の人生」なのです

ところが、自分の理想が先立つと
神の業がなされていても気づかず
自分には何の証もないように思う人があります
そういう人は、今までどのように物事が展開して現在の自分があるのか
今一度よく考えてみましょう

人生には色んな事があり
そこでどれほど神に助けられているかを覚えておくことは大切です
わたしが頑張ったからではない偶然(奇跡)に支えられていることに気づいたら
口先だけで神を信じるのではなく
心から崇め信頼して従っていきたいものです

このように
人が心から神を崇める(信頼する)ほど神を喜ばせることはありません
そして、この信仰心をもっているならば
自ずと行動は良心的になり
周りからも信頼されるようになるでしょう

神を喜ばせる生き方は
人の栄光を第一とするものではありませんが
そのような生き方が魂を成長させ
やがて自分が求めなかった誉れもついてくるようになるとすれば
どんなに幸いなことでしょうか

「自分が」と必死に自己アピールしなくても
”神の力強い御手の下に、自らを低く”していけば
”時が来れば神はあなたがたを高くして下さる”との約束を信じ
きっぱりと神にゆだねる信仰をもって歩んで行きたいものです

神はあわれみ深い方で
わたしたちを常に注意深く見守って下さいますから
目先の損得ではなく
正しい道=神に喜ばれる道を選んで
幸いな日々を送って行きましょう



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