今週のみことば


10月24日


「今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ
主が強大な国々をあなたたちのために追い払ってくださったから
あなたたちの行く手に立ちはだかる者は、今日まで一人もなかった
あなたたちは一人で千人を追い払える
あなたたちの神、主が約束されたとおり
御自らあなたたちのために戦ってくださるからである
しかし、もしあなたたちが背いて離れ去り
あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び
向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら
あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい
彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり
わき腹を撃つ鞭、目に突き刺さるトゲとなり
あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い地から滅びうせる」
(ヨシュア記23章8-13節)

ヨシュアは年をとり、最後の時が近くなった時
全イスラエルを集めて上記のように告げました
エジプトを出て、こうして「約束の地」にたどりつき
その地で先住民と戦いながら領土を得てきたのは
すべて神が自ら戦って下さったおかげであること
そして
その事を忘れて真の神を離れ
やがて異なる神を信じる人々と交わる時には
追い払わなかった者たちが今後イスラエルにとって大きな打撃を与え
せっかく神から与えられたこの地から滅び失せてしまうだろうと

イスラエルの民がカナンの地に入った時から
神はそこの先住民をすべて滅ぼすようにと命じてきました
ところが、彼らはその命令を完全に守ることができず
一部の民は残されたのです
そのことについて、最後までこのように問題とされているのは
先住民が「異なる神」を信じているからでした

イスラエルの民をここまで導き
その絶大なる力によって助けてきた神に対する信仰は
先住民と交わることで、異なる神との区別がつかなくなり
やがて神から心が離れてしまう事態を招くのです

「神を崇めない心」と共存することは
信仰者にとってワナとなり
信仰生活の邪魔をするようになってしまうのだと
ヨシュアは最後までこのことを戒めていました

「わが義人は、信仰によって生きる
もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく
信仰に立って、いのちを得る者である」
(ヘブル人への手紙10章38-39節)


神を忘れ、信仰から離れるということは
その人が正しく生きる道からそれていくことになり
いつの間にか「神を崇めない心」つまりは、自分の思い(情と欲)に支配され
自分が何をやっているのかすらわからなくなってしまうばかりか
良かれと思ってやっていることも裏目に出る等
気づかないうちに滅びへと向かってしまうことになるのです

現在、世の中には「クレーマー」と呼ばれる人が増えていますが
その心が神に向いていない人は、ひどい自己中心になり
自分の都合や権利ばかりを主張し
「うるさい人」となって周りとの信頼関係を築くこともできません
しかし
もし、神を中心とした歩みを忘れないなら
例え自分の思い通りに事が運ばなくても
そこには「あきらめ」や「許し」もあるでしょう

信仰生活は
自分の都合に応じて神を引き出して利用するものではなく
どんな状況にあっても神が共に戦って下さることを信じて
自分のなすべきことを成していく生活です

人間には救われてもなお欲がありますから
どうしても「捨てきれない思い」がそこには残るでしょう
その思いが信仰を邪魔する
だからこそ邪魔になる思いを滅ぼしていくために
神への信頼をいよいよ強くしていくことが大切なのです

この神は
わたしたちが一人で千人を追い払えるほどの力を与えてくださる方です
実際にこれまで様々な助けを得てきながら
なおも自分の力を過信して、自分の計画通りに物事を進めようとしても
それは上手くいきません
自分の思いと他人の思いはしばしば食い違うので
努力したことや誠意が相手に都合よく通じるわけではないからです

わたしは一人だと思っても
神が共にいて戦ってくださるとの信仰があれば
それは大きな希望となり
人を頼ったり、あるいは恐れたりする必要もないのです

カナンの地の人々と婚姻関係を結ぶなら
その先、もう彼らを追い払ってもらうことはできなくなる
そのことは、神の祝福を失っていく姿です
神に反する思いとの共存は滅びを招くことを
わたしたちも心しておかなくてはなりません

神にあって正しい答えはひとつ
それを「情と欲」に負けて曲げてはならないのです
もし自分の考えていることが”欲から出ている事”なら
一線を引くことが大切ですが
その思いを断ち切るためには信仰が不可欠です
もし神の助けがなかったら
わたしたちはどうやって自分の思いと戦っていくのでしょうか

信仰とは、神の思いに従うこと
ひとあし、ひとあし、神と共に歩むところに喜びを見出し
人間的にも整えられ、着実な歩みをして
信仰が成長していくことができますように



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