今週のみことば


10月31日


「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え
あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って
主に仕えなさい
もし主に仕えたくないというならば
川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも
あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも
仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい
ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」
(ヨシュア記24章14-15節)

ヨシュアは遺言としてこの言葉を残し、百十歳の生涯を閉じます
彼はずっと神に忠実に仕えるべきことを繰り返し語ってきましたが
ここでイスラエルの民に向かって彼らに自分の神を選べと迫りました
これは彼らに対して
もう信仰しなくていいと言っているわけではありません
それでも選ぶのは個人にまかせられている
これは現在のわたしたちの信仰生活も同じです

神によって救われ、ここまで恵まれ祝されてきた人生を
これからはどうするのでしょうか
自分が仕えたいものに仕えなさいと言われた時
どこに信仰の土台を置くのでしょうか

イスラエルの民はエジプトにいた時も
エジプトから出た後も
しばしば心変りして「異なる神」に仕えてきました
今それを取り除いて本当に神に仕えなさいというのです
それは、ここまで導き助け祝して下さったのは神によるのですから
こうして、カナンの地で新たな生活を始める彼らには
改めてその自覚と覚悟が要求されたのです

ヨシュアの言葉を聞いたイスラエルの民は
この神を捨てて他の神々に仕えることは断じてないと約束しますが
それを聞いたヨシュアは
『あなたたちは主に仕えることができないであろう』と告げます
そして、その後イスラエルの民はその言葉通りになっていくのでした

「ヨシュアの在世中はもとより
主がイスラエルに行われた御業をことごとく体験した長老たちの存命中
イスラエルは主に仕えた」
(ヨシュア記24章31節)


やがて長老たちが死に、神の御業を知らない世代がおこってきます
彼らは先祖の神を捨て、他国の神々に仕えて、神を怒らせました

「イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人エブス人の中に住んで
彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ
彼らの神々に仕えた」
(士師記3章5-6節)


今も昔も結婚はおめでたいことです
しかし、そのためにどうして他の神々にまで心を移してしまうのでしょうか
相手に対して媚びたり、良い顔をしようとすると
信仰心はどこかへ行ってしまいます
いずれイスラエル人は神を捨てるようになると
かつてヨシュアが預言した言葉はその通りになりました

現在も、クリスチャン同士が結婚するのではない場合
相手に遠慮していては信仰を続けることはできません
トラブルは回避しながら、それでも信仰だけは譲らない
相手に取り込まれるのではなく、むしろ相手を神の側に導く
そのような知恵のある行動は
欲に負けると難しくなるのではないでしょうか
損得ではない、神の愛による知恵を
わたしたちは常に求めていかなくてはならないのです

しかし
イスラエルの民が何度も神を裏切り続けたように
わたしたちも神への忠誠心は完全ではありません
その背きに対して神は許さないとあり
イスラエルはそのためにやがて国が滅ぼされていくわけですが
人間はみな神に対して罪を犯してしまう弱い存在だからこそ
神は後に「救いの道」を用意して下さいました
結局、人間は誰も神の律法を完璧に守ることはできず
自分の力で自分を救うことはできないのです

その洗礼と聖霊による救いにあずかるクリスチャンは
やはり欲との戦いで心が揺れながらも
それでも神に対して忠実であろうとするところに恵みを与えられます
それは単に「わたしは従っている」と言うのみならず
どう行動しているかが問われ
本人が決意の言葉の証人となるのです

「ヨシュアは民に言った
『あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人は
あなたたち自身である」
(ヨシュア記24章22節)


ヨシュア記は
戦いの中にあって、ただひたすら神に従うことを求められ
従うことで戦いに勝利する
その繰り返しでした
それはそのままわたしたちの信仰生活にも当てはまることです

神を土台にした人生か
あるいは神以外に希望を置く人生なのか
わたしたちはどちらかを選ばなくてはなりません
祈るも祈らないも、信じるも信じないも自分次第
とはいえ、どの道を選ぶべきかはすでに明らかです

この信仰は一人一人にゆだねられていますが
神の言葉(聖書)に基づいた歩みをすれば大丈夫なのだと
ヨシュア記を通し、イスラエル人の歩みを通して教えられてきました
その中で一番大切なことは
”神を忘れない事”
そのためにも、すべては神の采配によることを知り
神に栄光を帰して歩んでいきましょう
それをずっと守っていくことが
心の中にある”異なる神”を取り除くことになります

神は常にわたしたちに対して働いて下さっていても
わたしたちは自分を幸せとは感じられない事もあります
それでも年数がたつうちには物事は確実に移り変わっていくでしょう
神は”あなたを恵み祝す”と約束して下さっていますが
その言葉を信じることができるかどうか
それがすなわち”神に従えるか”ということになります

とは言え、神に喜ばれない事を行動に移すのが人間で
わかっていてもなかなかやめることもできません
しかし、その失敗を糧として信仰に立ち返るのか
反対にいよいよ神から離れるのか
それは自分次第ということです



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