今週のみことば
11月21日
「カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルと
そのすべての者を試みるために用いようとして
主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである
そうされたのは、タダ以前に戦いを知ることがなかったということで
そのイスラエルの人々の世代に戦いを学ばせるためにほかならなかった
ペリシテ人の5人の領主、すべてのカナン人、シドン人
バアル・ヘルモンの山からレポ・ハマトに及ぶレバノンの山地に住むヒビ人がそれである
彼らはイスラエルを試みるため
主がモーセによって先祖に授けられた戒めに
イスラエルが聞き従うかどうかを知るためのものであった
しかし、イスラエルの人々は
カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人エブス人の中に住んで
彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ
彼らの神々に仕えた」
(士師記3章1-6節)
かつてヨシュアたちがカナンの地に入った時
その地の民をことごとく滅ぼすようにという神の命令に彼らは従うことができず
そこには様々な民が残されていきました
それは彼らの弱さゆえではなく
神のご計画であったことがここにはっきり記されています
やがてカナンの戦いを知らない世代の時代になっても
イスラエルはずっと神から試みられ
神による助けを得て戦うという戦い方を学ばなければなりませんでした
しかし、そのような試みの中で
イスラエルの人々はカナンの地の人々と婚姻関係を結ぶばかりか
彼らの神々にまで仕えるようになってしまうのです
これは神が最も嫌われることでした
婚姻関係を結べば
人間の情として相手に遠慮し、あるいは媚びて
一番大切な神さえも忘れてしまうのは
その後ソロモン王も陥ったワナです
どんなに自分が神に対して忠実であることを誓っても
人の誓いなど情に流されればすぐに破られていくのです
神の命令に背く時どんな事が起きてくるかは
すでに多くの事が語られてきました
神の守りがなければ人はどうしようもありません
そこにわたしたちは本当に気づいているでしょうか
わたしたちの人生は、自分のものですから
どのように生きようが自由です
神を求めることを忘れ
人に媚び
目先の欲のためにお金で魂を売るような生き方をしても
楽しければ満足なのかもしれませんが
その先に幸せがあるのでしょうか
自分の人生であっても
守ってくださる方があってこその人生だということを
わたしたちは忘れてはなりません
毎日は同じことの繰り返しであっても
その平凡な日々の中に神を見出し
神の守りのうちに生活していることを忘れないようにしましょう
もし自分の人生を愛しているなら
神の定めた道(運命)に従うことが大切です
それは自分の理想の道ではないとしても
神が与えた道として
置かれたところで用いられるように歩む時
その歩みに集中するうちに何かが起こります
これは神が導いてくださるからこそ起こることですが
自分の人生に神を入れない人は
いつも何かが不満で
自分の人生を愛することができず
適切な行動もできないので何の結果も出ないのです
わたしたちの人生は神の思うがままであることを信じて受け入れる人には
すべてのことは相働いて益となっていきます
これが神を崇める人の歩みであって
ただ単に信仰的な言葉を唱えていれば
神を崇めているというわけでもないのです
情けない時も、腹立たしい時も
その思いをどうおさめて正しく行動できるか
わたしたちにはそこが常に問われています
ましてや、自分の正しさを主張するために
人をおとしめたり攻撃したりしないで
自分が今何をすべきかを考えて冷静に行動するには
神の知恵が必要です
そして、信仰をもって行動する時に
そこに良き実(結果)が結んでくるのは間違いありません
イスラエル人に戦いが残されたように
わたしたちの人生にもそれぞれ戦いが常にありますが
どんな時も聖書を思い出し
神に望みをおいて
置かれたことろで、誇りをもって歩んでいきましょう
<目次