今週のみことば


1月24日


「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生まれた者である
すべて生んで下さった方を愛する者は
その方から生まれた者をも愛するのである
神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは
神の子たちを愛している事を知るのである
神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである
そして、その戒めはむずかしいものではない
なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである
そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である
世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか
このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである
水によるだけでなく、水と血とによってこられたのである
そのあかしをするものは、御霊である
御霊は真理だからである
あかしをするものが、三つある
御霊と水と血とである
この三つのものは一致する
わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている
神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである
神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている
神を信じない者は、神を偽り者とする
神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである
そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり
かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持っていない者はいのちを持っていない」
(ヨハネの第一の手紙5章1-12節)

「イエスのキリストであることを信じる者」とは
イエスの名によるバプテスマを受けて救われた者ですから
すなわち「神から生まれた者」です
そして
生んで下さった神を愛する人は
神が肉体をもって生れてきたイエスを愛しているのです

神を愛し、信じて、そのみことば(戒め)に従っていく者は
そこに神のあかしを見ることができます
マタイによる福音書14章には
「5つのパンと2つの魚」で5千人が養われた話が記されていますが
イエスの言葉を信じてついてきた人々に対して
わずかなものが大いに用いられ
みんなが十分に食べて余りが出るほどであったことをみると
神を愛する者が決して見捨ててはおかれないことが分かります

わたしたちは自分の持っているものに不安や不満を感じ
「こんなものしかない」と思っているかもしれません
そんな情けない気持ちでいたとしても
わずかなものが神によって大きく用いられるなら
恥をかくことなく生きていけるのです

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい
あなたがたを休ませてあげよう
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイによる福音書11章28-30節)


こうして、どんな試練の中でも
神を愛する心があれば、その重荷は軽くされ
世の中にあるところの様々な不安や欲の惑わしに勝利し
神よりの平安が与えられるので
神を愛して従っていくことは難しい事ではないとわかります
神から救われている者は「世に勝つ者」だからです
そして、「世に勝つ者」
イエスが、神が肉体を持って生れてきた救い主であると信じています

この救い主イエスは
人の救いのために、水(洗礼)と、血(肉体)を持ってきた方で
ご自身が御霊(聖霊)として、信じる者の中に宿り
人を正しく導くのです

ヨハネの第一の手紙4章2節には
「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は
すべて神から出ている」

ヨハネによる福音書1章14節には
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」
と記されており
「言(ことば)=神」が肉体をとってこられ
更にわたしたちのうちに「聖霊」として宿ってくださることがわかります
つまり
神=イエス・キリスト=聖霊です

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく
御子によって、この世が救われるためである」
(ヨハネによる福音書3章16-17節)


こうして、「水と霊」
すなわち洗礼と聖霊のバプテスマによる救いが与えられました
そして
神=イエスであるとの証は、神ご自身による証で
イエスを信じる人は
自分のうちにしっかりとこの証をもっています
すなわち、イエスにある命をわたしたちも与えられているので
自分には力がなくても
神から来るところの知恵と力が与えられ
どんな試練の中も平安に通り過ぎていくことをできるのです

イエスに結ばれた者は命を持ち、希望を持つ
それは
神を愛し、信じて進めばどうなるのか
自分自身に証があるからです

世の中のものにわずらわされず生きるのは
イエスにある者(救われている者)の特権であり
世の中の人々が、年をとることを憂い
思うように行かない日々を嘆いている一方で
与えられたものを受け入れる信仰により
それを生かしながら平安に生きることのできる信仰者の歩みは
人生の勝利者の生き方です

波の上を歩いてイエスのもとに行こうとしたペテロが
波に目を移したとたん、恐れて溺れかかったように
わたしたちも、さまざまな不安から、神を疑うと
同じことになってしまうでしょう
疑う者は、神を愛しておらず、信じていないので平安がありません
信仰とは、何か難しい修行をするのではなく
神を愛しているかどうかが問われているのです

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です
これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」
(詩篇119篇71節)


わたしたちは試練を通して
神を愛し、信じて、従っていくことの大切さを知ることができます
それを体験することは
その後の人生を平安に生きる秘訣を得るようなもの

「わたしは苦しまない前には迷いました
しかし今はみ言葉を守ります」
(詩篇119篇67節)


試練にあい神の助けを知る前までは迷っていた者であっても
一度それを体験すれば
迷うことなく信じていくことができます

日々の歩みの中に
神の助けを見出しながら
神にある者の平安を味わい
恵まれた日々を送っていくことができますように
いよいよ神を愛していきましょう



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