今週のみことば


1月31日


「すべて神から生まれた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている
神から生まれたかたが彼を守っていて下さるので
悪しき者が手を触れるようなことはない
また、わたしたちは神から出た者であり
全世界は悪しき者の支配下にあることを、知っている
さらに、神の子がきて
真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている
そして、わたしたちは、真実なかたにおり
御子イエス・キリストにおるのである
このかたは真実な神であり、永遠の命である
子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい」
(ヨハネの第一の手紙5章18-21節)

「神から生まれた者」すなわち「洗礼と聖霊によって救われた者」は
「悪しき者(サタン)」が支配する世の中にあっても
「神から生まれたかた」=イエス・キリストからの守りがあるので
罪を犯さないように導かれていきます

わたしたちは救われることにより
「真実なかた」である神を知り
更に神がどのような方であるかを深く知ることができるようにされました

こうしてわたしたちは「真実なかた」である神と共にあり
「真実な神であり、永遠の命である」イエス・キリストと共にある
すなわち
「神=イエス」と共にあるものとされたのです

同章の14節には
「わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである
すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら
神はそれを聞きいれて下さるということである」

と記されていますが
人間には欲があるので
自分自身の思いを第一として願い求めるのが当たり前のように思えます
実際にそのように神に祈り
「祈りがきかれない」と思うことも多いのではないでしょうか

しかし、「神から生まれた者」が幸いに生きていくために
一番大切なのは「神の御旨に従って」生きることです
「真実なかた」である神は、わたしたちを決して悪いようにはされません
もし自分の思いとは違う道が開かれたり
日々面白くないことや不安なことがあったとしても
その後がどうなっていくのかは進んでみないと分からないことです
「神の御旨に従って」生きるとは
すべてを神におまかせてし歩むことを言い
これは救われているからこそ可能なことなのです

このように
神の守りのうちに「神の御旨に従って」行く時には
そこに必ず、これで良かったのだとの証が伴いますから
この証によっていよいよ神を知り
自分の思い(欲)も含めた「偶像」から遠ざかって
まっすぐに幸いな道を進んでいくことができるのです

ルカによる福音書24章45節に
「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言った」
と記されているように
聖書をいくら読んでみても
神による助け(救い)がなければその意味を悟ることはできません

わたしたちは今こうして聖書から教えられることができるのは
「救い」を受けているからです
また、この救いは人の行いの正しさによるのではなく
神の恵みによるものであることをもう一度思い出しましょう

「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが
これは、彼ら異邦人も同じことです」
(使徒行伝15章11節)


しかし
「神の恵み」によって救われ、「御旨に従って」歩む者とて
その道のりは平坦なものではありません
日常生活にあっても、嫌なことを言って来る人に出会うことも多々あり
時には怒りで我を忘れそうになる時もあるのではないでしょうか

そんな時にも
神の守りのうちに歩まされている事を忘れず
いちいち文句をつけてくる人の事を気に留めないことが大切です
もしそれに気を取られていると心がすさんでいきますから
どうぞ落ち着いて逃れていくことができますようにと
神に願い求めていくと
サタンにほんろうされずにすむのです

すべての事は神の手のうちにあって起こることですから
何事も「自分が」と意固地にならず
神におまかせしていきましょう

反対に、自分で何とかしようと思うほど腹も立ち
最後には「神さまなんかいない」とまで思ってしまうかもしれません
そういうことを思う前に
どうすることが神に喜ばれることなのかをよく知って
正しい道を選んでいくことができますように

「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」
(コリント人への第一の手紙10章12節)


自分の力を過信すると、神から遠ざかり
すべて自分で自分を守らなくてはならなくなります
神の愛によって救われたわたしたちは
「神の戒めを守る者」とされました
これは自分の思いではなく、神が定めたことに従って歩むことを言い
このように歩む者が、本当の意味で「神を愛する者」です
そして
それがわたしたちの日常の立ちふるまいにも表れてくるのだということを
心して歩んでいきましょう



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