今週のみことば


3月14日


「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する
もしこれに書きくわえる者があれば、神はその人に
この書に書かれている災害を加えられる
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば
神はその人の受くべき分を
この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」
(ヨハネの黙示録22章18-19節)

2011年4月からちょうど4年かかって読み進めてきた新約聖書も
この章をもって終りとなります
ヨハネの黙示録には
この先に起こる様々な事象についての預言が記されていますが
それらについては聖書に記されている通りとして受け入れ
人間的な感覚でもってこれを解くことはしません
この予言の言葉は神の言葉で、完璧なもの
それを人間が無理やり解いても
必ず不完全で、間違ったものとなるからです
ましてや、人間の考えで勝手にこの予言の書に加えたり省いてはならない
と、はっきり記されているのですから
神の言葉をそのまま信じて従っていくのが幸いです

また、このヨハネの黙示録のみならず
「聖書の予言はすべて自分勝手に解釈すべきでないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら、予言は決して人間の意志から出たものではなく
人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」
(ペテロの第二の手紙1章20-21節)

と記されているように
聖書に記されていることは、すべて自分流に変えてはいけません
それは神の権威を否定することになり
勝手に変えられた神の言葉がサタンに利用され
全く違う意味にすり替えられていくからです

神が肉体をもち、救い主としてこの世に生まれ
万民の罪を負うて十字架上で死に、またよみがえり
その流した血によって「救いの道」が開かれたことは
新約聖書全体を通して何度も記されています

以下、ヘブル人への手紙9章より
「やぎと子羊との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ
それによって永遠のあがないを全うされたのである」(12節)
「血を流すことなしには、罪のゆるしはありえない」(22節)
「キリストもまた、多くの人の罪を負うために
一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に
罪を負うためではなしに二度目に現れて、救いを与えられるのである」(28節)

この救いの事も、天国の事も
キリストがまた来られる再臨のことも
そして、やがてこの世がどのような裁きを受けるのかも
信じる人は信じますが
信じない人には全く受け入れられないことでしょう
それでも、その救いに実際にあずかり
様々な神の助けを体験してきた者にとっては
この証がある限り、必ず信じ続け
いかなる時も、いかなるところに置かれても
この信仰が生きる希望となるのです

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節)


物事が上手く行く時も行かない時も
救いの約束を信じ、聖書に従い神と共に歩み
神に希望を置いて試練に打ち勝ち
心から「神は素晴らしい」と賛美する日々でありますように



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