今週のみことば
3月28日
「サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで
いやな腫物をもって彼を悩ました
ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった
時にその妻は彼に言った
『あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい』
しかしヨブは彼女に言った
『あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ
われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも、うけるべきではないか』
すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」
(ヨブ記2章7-10節)
1章において、自分の所有物をすべて失ったヨブは
次には自分の身をうたれ、体中に腫物が生じました
これもまた神とサタンとの話の中で決められたことでしたが
そのような目にあってもヨブはなお
「神を呪って死になさい」という妻をいさめています
「われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と
どこまでも神に対して誠実なヨブの姿がここにありました
前回に引き続き、わたしたちがここから教えられるのは
神の思いと人の思いは異なり
わたしたちは自分の思い通りにならないことにいら立っても
すべてのことは神のご計画どおりに進んでいくということ
そして、そのご計画の先にある幸いを信じて
わたしたちはすべてを神にゆだねて歩むことが大切だということです
人は目に見えるところばかりを見るので
他人と比べては自分がつまらないと嘆き
神が味方してくれるならもっと良いことになるはずだと文句を言います
しかし、それ以前に
すでに神の助けがあるからこそ今の自分が生かされていて
すべての幸いは自分の力によるものではないと知らなくてはなりません
人間は欲が深く
多少良いことがあったとしても満足することなく、すぐ上を望み
こうして「もう少し神さまが味方してくれたら・・」と望み続けるわけです
そして、思うようにいかなけれが「神はいない」と言う
自分の願いが成ったからといって
そこが人生の終点ではありません
そこから先はどうなっていくのでしょうか
日々の現実はずっと続いていくのですから
自分が如何なる者であるかという現実の姿を受け入れて
そこに神の助けがあることに希望をおいて
神から来るものはどんなことでも受け入れることができるように
その信仰が成長することが大切です
もし人生を神にゆだねていないなら
わたしたちはどこかでつまづき、人生は行き詰ります
人は誰もが年を取り、いずれ体も不自由になる
救われていても不老不死ではありませんから
神から来るすべてのことをどのように受け入れるかが
平安に生きるポイントになるのです
自分の人生を振り返る時
災いと思えたことが今の幸いの元になっていることもあるでしょう
そのことがあったがゆえに神を知り
神の導きと助けを体験した人は
その後、人生を謙遜(けんそん)に歩めるようになります
苦労することで神を知ることができるなら
失うことはただの損失ではありません
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」
(伝道の書3章11節)
神から来るすべてのことには意味があります
試練の時にはどうすればいいのか人間にはわからなくても
神の導きは必ずあり
わたしたちはそれに従って進む時
神と共に歩む幸いを見ることができるのです
あらゆる災いに会いながらも
「すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」
と記されていますが
続く3章からは彼の本心が語られるようになります
信仰的には素晴らしい発言をしている人であっても
実際そのように心がけていたとしても
その信仰がどのようなものであるかはわかりません
ヨブもここから本当の意味で神が見えるようになるために
葛藤が始まっていくのです
<目次