今週のみことば


4月11日


「その時、テマンびとエリパズが答えて言った
『もし人があなたにむかって意見を述べるならば、あなたは腹を立てるでしょうか
しかしだれが黙っておれましょう
見よ、あなたは多くの人を教えさとし、衰えた手を強くした
あなたの言葉はつまづく者をたすけ出し、かよわいひざを強くした
ところが今、この事があなたに臨むと、あなたは耐え得ない
この事があなたに触れると、あなたはおじ惑う
あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか
あなたの道の全きことは、あなたの望みではないか
考えて見よ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか
どこに正しい者で断ち滅ぼされた者があるか
わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている』」
(ヨブ記4章1-8節)

3章から
「自分は生れてこなければよかったのに」と嘆き始めたヨブに対して
3人の友人の一人テマン人エリパズは語り始めました
かつて神より
”ヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者はこの世にいない”
とまで賞賛されたヨブの、今の情けない姿を見て
エリパズは励ますよりも責める言葉を発しています

「あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか」
確かにヨブは神を恐れ信じて生きる生き方を頼みとしていましたが
そのように言われても現実に激しい痛みが襲ってきた時には
わたしたちもまず必死に「痛い」と叫ぶのではないでしょうか
その時には、神により頼む思いよりもまず痛さを訴えることが先になる
これが人間の姿です

災難にあったヨブの事をエリパズは慰めるためにやってきたはずでした
ところが、実際には彼の言葉はヨブの慰めにはなっていません
人は人を心配することはできても
人の力で人を完全に慰めることはできない
これもまた人間の姿なのです

更にエリパズはヨブに対して
ヨブに何か罪があるからこのような災いにあったのではないかと言っています
これについては
”ヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者はこの世にいない”
と賞賛されるほど
普段から罪を犯さないことに気をつけてきたヨブには全く心当たりもないので
到底受け入れられるものではありません
それでもエリパズには
神の都合でこの災いが起こっているとは思いもよらないことでしたから
ヨブに落ち度があると信じ切っていたのでしょう

ローマ人への手紙2章6節には
「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる」
とありますから
災いが起こるのはその人に何らかの落ち度があると考えることもできるのですが
すべてのことは神がご存じであることがエリパズにわかっていれば
彼の言葉も違ったものになっていたのではないでしょうか

神が、各々のわざに従って報いられることも
あるいは神の御旨で人間にとって思わないことが起きることも
すべては神の領域の話ですから
そこに人間が疑問をさしはさむ余地はないのです

この、すべてのことは神の手の内にあって
人生は何が起こるかわからないということ
だから本当に寄り頼むことのできる存在に頼らなければ平安がないこと
そしてそのような存在は神しかないことを
ヨブとエリパズのやり取りを通してわたしたちも学ぶことが大切です

「人が見て自分で正しいとする道があり
その終りはついに死にいたる道となるものがある」
(箴言16章25節)


人間が自分の考えで「正しい」と判断することの中には
間違ったものがたくさんあります
そのため、人を慰めようとしてかえって傷つけていることにも気づきません
自分が良かれと思って行動することにも
どれほどの間違いがあることでしょう

「人は神の前に正しくありえようか
人はその造り主の前に清くありえようか」
(ヨブ記4章17節)


ここで一番重要なのが
神は絶対の存在で、人は愚かであるという
神と人との立ち位置の違いです

人は弱さのゆえに間違い、色々なことを言うものです
人の言葉でいちいちショックを受け
人の言葉で左右されないように
神の言葉を第一として歩んでいきましょう

問題が起こり、心が弱ると神を疑うようになるのは
わたしたちもみな同じですが
この人生を神のご計画に従うものとしてゆだね
不信の思いをとり去って進むことができますように



<目次