今週のみことば


4月18日


「しかし、わたしであるならば、神に求め
神に、わたしのことをまかせる
彼は大いなる事をされるかたで、測り知れない
その不思議なみわざは数えがたい」
(ヨブ記5章8-9節)

ヨブの友人エリパズの話が続きます
前回エリパズは
ヨブに何か罪があるからこのような災いにあったのではないかと言っていました
神の都合でヨブに災いが起きているとは思いもしないエリパズもまた
神のご計画というものがわかっていません
そのため、彼がここで語っていることは
”彼(神)は大いなる事をされるかたで、測り知れない”
正しいことではありますが
”神に、わたしのことをまかせる”と言っても
頭で神の事が分かっているつもりになっているにすぎないのです

「あなたの道を主にゆだねよ
主に信頼せよ、主はそれをなしとげ
あなたの義を光のように明らかにし
あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる」
(詩篇37篇5-6節)


神によるわたしたちの人生の計画は
わたしたちが本当の意味でその行方を神にゆだねていく時
必ず計画は”なしとげられる”とあります
人生が自分の思いとは違う方向へと導かれていく時には
不安と不満があるでしょう
それでも、神のご計画は人の思いを越えた所にあることを
信頼して従う者は見ることができ
それによって神の正しさを知るようになるのです

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は
そのさばきはきわめがたく、その道は測りがたい
だれが、主の心を知っていたか
誰が、主の計画にあずかったか」
(ローマ人への手紙11章33-34節)


「神はその驚くべき声を持って鳴り渡り
われわれの悟りえない大いなる事を行われる」
(ヨブ記37章5節)


こうして、神の力の絶大であることを教えられ
わたしたちの考えも及ばない大いなる事をなしとげて下さると聞く時に
それを人間の都合中心に考えれば
人の願いに沿った結果を期待しがちです
そのため、都合の悪いことが起きると
神にあるのにどうしてこんなことが起こるのか?と疑問をいだき
神に対して不信感さえ持つようになるのです

神のなされることはすべて神の御旨によるもので
そこは人の知恵が及ばない世界ですが
人は自分が知者だと思えば
自分の考えが絶対正しいと思い
その通りにならないと腹を立てます
ですから、神の前には自分を愚かな者として
何が起きたとしても自分を空しくして(無になって)
受け入れていくことができますように

「だれも自分をあざむいてはならない
もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら
その人は知者になるために愚かになるがよい
なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである」
(コリント人への第一の手紙3章18-19節)


神のなされることは
見えるところは悪いことであっても
神を信じる人にとってすべての事は益となると聖書は語っています
エリパズは第三者として立派な発言をしていますが
当事者であるヨブには受け入れられないものでした
それはエリパズとて当事者になれば同じかもしれません
そのように人の心は弱く
口では正しいことが言えても
行動するのは難しいものなのです

それでも、神の心を知らないで
ただ恨みつらみを言っていても
その先を見ないことには神のご計画はわからないのですから
自分の考えはさておいて
開かれた道を歩む潔さを持っていくことができれば幸いです

クリスチャンは
十字架の元にそれぞれの重荷を下ろすようにと教えられます
この「重荷」とは悪い物のような印象がありますが
それを十字架の元に投げ捨ててしまえばいいというわけではなく
「重荷」の中には「使命」もあるあるわけですから
与えられた重荷に対して逃げ出すよりも
どう向き合っていくのかを考える(受け入れる)ことが大切です

人生に面白くないことがあれば愚痴も出るけれど
神を信頼して乗り越えていく
そのことによって神の本質を知り
すべてのことを益として下さる神にいよいよ感謝し
何も知らないわたしたちはただその開かれた道に従っていくのみであると
神と共に生きる生き方を選んでいきましょう



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