今週のみことば
4月25日
「絶望している者にこそ、友は忠実であるべきだ
さもないと全能者への畏敬を失わせることになる」
(ヨブ記6章14節)
突然すべてのものを失って絶望のどん底にいるヨブに対して
友人エリパズは
ヨブに何か罪があるからこのような災いにあったのだという考えを前提に
彼を責める発言を繰り返しています
しかし、ヨブにとっては
自分が何の罪を犯したのかわからないので
24節では
それを教えてくれ、そうすれば黙るからと言っていますが
その答えはありません
なぜなら、この災いはヨブの罪のせいではないのですから
絶望しているヨブを更に追い詰めるエリパズは
本当の意味の友と呼べるものではないでしょう
本当の友とは
相手の心を理解しようとするものですから
わたしたちもそういう友を持つことができたら幸いですが
残念ながら自分も含めて人間は完全ではありませんから
常に相手の心を理解し
困った時に必ず手を差し伸べて助けてくれる「真の友」は、神だけです
エリパズは友であるなら
ヨブを責めるよりも
どうしてこうなったのかはわからないが、とにかく神を信じていこうと
ただ励ますことができれば良かったのですが
災いは人の罪からのみ出ると信じていた彼らには
自分の思いを主張するしかないのでした
こうして友人からも責められたヨブは
いよいよ自暴自棄になっていきます
「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない
ほうっておいて下さい
わたしの一生は空しいのです
人間とは何なのか
なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか
朝ごとに訪れて確かめ、絶え間なく調べられる
いつまでもわたしから目をそらされない
唾を飲み込む間すらも放っておいてはくださらない
人を見張っている方よ
わたしが過ちを犯したとしても、あなたにとってそれが何だというのでしょう
なぜ、わたしに狙いを定められるのですか
なぜ、わたしを負担とされるのですか
なぜ、わたしの罪を許さず、悪を取り除いてくださらないのですか
今や、わたしは横たわって塵(ちり)に返る
あなたが探し求めても、わたしはもういないでしょう」
(ヨブ記7章16-21節)
2章までは優等生の発言をしていたヨブも
今や神に対して出る言葉はただの愚痴となっています
神の律法を間違いなく守っていれば災いは来ない
そう思っていたヨブの計画は崩れ
彼の人生は大きく変わってしまいました
彼にとっては、「神のご計画」という感覚はこの時まだありませんから
自分の過ちを神が細かく見つけて責めているのだと思い
なぜ自分だけこのような目に会うのかと理不尽に感じていたことでしょう
人生はひとりひとりみな違っていて
どれも自分の思うようにはなりません
神のご計画と人の思いは異なり
人は自分のテンポで物事が進まないとイライラするものです
しかし
わたしたちの人生は神の手の内にあって
神の定めたリズムに乗って動く時に
はじめて事は動き出します
ちょうど合唱において周りとの調和が大切なように
「我」を出さないで進むことが重要なのです
例えば病気になった時
どうして自分だけがこんな目に会うのか
あるいは
何か自分が悪い事をしたからバチがあたったのかと
自分の思いで考えていては、神のご計画は見えません
神のご計画によって来るものは受け入れる
それが「従う」ということですが
これは神に対する信頼がないとできないこと
もし神に対して迷いが出れば
自分の思いを優先して右往左往することになり
結果的に時間の無駄を招くことになります
ヨブと友人のやりとりは
すべて各々の「我」の張り合いです
もしそこに「すべては神のご計画による」との考えがあれば
そして神に対する絶対の信頼があれば
責める言葉も愚痴も必要なかったでしょう
人に災いが起こるのはバチが当たったからではなく
また、律法を完全に守っているから災いがないわけではない
ここがわからないと本当の信仰はわからず
人生はいつも疑問だらけになります
人にはみな「通るべき道」があり
そこを通る時、神のご計画を悟り、神の大きさを教えられるのです
大切なのは
なぜ自分がこんな目に会うのかと
その理由を自分で勝手に考えないこと
すべては神にゆだねて、開かれた道を歩む時
後にその理由が分かるようになるからです
辛い病気をいくつも体験すると
病気の人の心が分かるようになり
辛さの中にも神の助けを感じることができれば
いよいよ神への信頼も増すでしょう
その感謝の思いは人を強くし
信仰による希望は周りの人を勇気づけます
ヨブのような一気にどん底に突き落とされるような試練でなくても
わたしたちはひとつの問題でさえ希望を失いそうになるかもしれません
そんな時も
自分の思い込みから離れて
「神のご計画」があることを信じ
希望を持って進んでいきましょう
<目次