今週のみことば


5月16日


「まことにわたしは、その事のその通りであることを知っている
しかし人はどうして神の前に正しくありえようか
よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない
彼は心賢く、力強くあられる
だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか
彼は、山を移されるが、山は知らない
彼は怒りをもって、これをくつがえされる」
(ヨブ記9章1-5節)

前の章で”神とはどのような方であるか”について語るビルダデの話は
ヨブにとってはよくわかっていることでした
神がいかに強大な力をもち
自由にすべての事を動かせることも
それに対して人間が抵抗できないことも知っているからこそ
ヨブはそのような神を恐れて
その戒めに従って生きてきたのです

彼には戒めを精一杯守って生きてきたとの自負があり
それを足らないと言われるなら
人間はとても神の前に完全に正しくはいられないのだから
理不尽な話だと思うでしょう

9章の35節においてヨブは
『わたしは正当に扱われていない』と言っています
定められた戒めを懸命に守ってきた彼にとっては
もはや今の状態をどう考えればいいのかわからなくなっているのです

神の定めた戒め(律法)をただ守ることだけを考える信仰と
神を心から信頼する信仰は同じではありません
前者は、律法を守ることと引き換えに
それに応じた扱いを期待するようになりがちです
その場合には期待に反することが起こると
『わたしは正当に扱われていない』と思うようになるでしょう

人はみな自分の願いどおりになれば喜びますが
一つの願いがかなえば、更に次を期待し
だんだんぜいたくになって、きりがありません
わたしたちにとっても
自分の置かれた状況によって
『わたしは正当に扱われていない』と思うとすれば
それは本当に心から神を信頼する信仰なのでしょうか

ヨブの語る通り
神は知恵と力に満ちた方で
自然のすべてを支配する方なのですから
わたしたち人間は、神の前に低くなって
自らを愚かな者として歩んでいくことが大切です
その時には
わたしがどんなに律法を守っているかとの誇りは
本当の信仰のさまたげとなるのです

「その土台は何の上に置かれたか
その隅の石はだれがすえたか」
(ヨブ記38章6節)


わたしたちは人生の土台を神に置き
そこに各々の建築をしていきますが
決して自分のがんばりで今日があるわけではなく
すべては神の知恵と力に支えられていることを実感する時
本当の意味で神を知ることになるでしょう



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