今週のみことば


5月30日


「あなたのことを、耳にしてはおりました
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます」
(ヨブ記42章5-6節)

ヨブは3人の友人との問答の中で
神の律法(おきて)を忠実に守ってきた自分に、仮に何かの落ち度があったとして
それで罰せられるのなら
世の中にいる悪い人たちが安泰で暮らしているのはなぜなのかと
どうにも納得のいかない思いを訴えてきました

彼らの間に共通するのは
神の律法を守ることによって安泰を得るという信仰観です
そのため、災いが起こるのはその人に落ち度があるからとする考えが中心で
神がどのような方であるかを知る以前に
とりあえず律法さえ守っていればいいのだと
そこに重点をおいて歩んでいました
結局のところ、彼らの語る「神」は、自分たちの想像の中にある存在でしかなく
自分たちの物差しで語り、責め、混乱をきたしていくのです

42章はヨブ記の最終章で
ここにおいてヨブは以前の信仰観から離れ
はっきりと「神を見た」と語ります
それは、38章から神の言葉が直接下り
天地創造の神の
絶対的な権威と力と測り知れないご計画を教えられたからでした

ヨブや友人たちが言っているように
ヨブが律法を守ることに落ち度があったとかなかったとか
そのようなことでヨブの人生が左右されているのではなく
すべては神のご計画の下に行われているということが
ここではっきりするのです

38〜39章においては
すべての事(もの)は神によって成り立ち
神が定めたようになっていくこと
神が知恵を与えなければ何もできないこと
すべての生き物の特性を造ったのも神であり
人間はそれらがどうやってできたのか何も知らないのだということが
多くの事例をもって語られています

そしてヨブは神に対して言いました
「わたしは軽々しくものを申しました
どうしてあなたに反論などできましょう
わたしはこの口に手を置きます
ひとこと語りましたが、もう主張いたしません
ふたこと申しましたが、もう繰り返しません」
(ヨブ記40章4-5節)


神がどのような方であるかについて
それまで勝手な事を考えていた自分の間違いに気づいたヨブに
神はさらに
人間には到底なしえないことを神は行っているのだということを知らせます
こうしてヨブは
頭の中で想像してきた神の姿を改めて
はじめてその姿を自分の目で見たと確信したのでした

かつては
自分の分だけでなく、子どもたちの罪のための燔祭までささげて
落ち度のない律法の信仰を保ってきたヨブにとって
自分に災いが起こるのはとても理不尽だと思えましたが
あくまでも律法の形を重んじるヨブですから
最初は
「われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも、うけるべきではないか」
口では立派な事も言いました
ところが
神はその後もヨブから災いを取り除かれず
友人たちまでが彼を責め
彼はこうして追い詰められていく先で
ついには「神を見る」という所に至るのです

災いにあい、とことん追い詰められたからこそ
自分の力の無さを悟り
自分の思いや考えを退けるとき
はじめて本当の意味で「神を見る」ことができる
神は全能者であると悟ったなら
その全能者のすることについて誰が文句を言えるでしょうか

人は辛い目に会うと、なぜ自分がこんな目に会うのだろうかと嘆き
運命を呪いたくなるかもしれません
ましてや、それまで真面目に生きてきた人であれば
なおさら疑問にも思うでしょう

ヨブは善良な人ではありましたが
彼自身、神の事が分かっていたわけではなく
律法(おきて)の儀式を熱心に行ってきたにすぎませんでした
このように
神を知り、熱心に律法を守っているからと言って
本当の意味で神を崇めているわけではありません
だからこそ自分の思いと違うことがなされると
それを理不尽と思い、神に対して不信感をもつまでなるのです

日常的に教会へ行き
熱心に信仰生活をしている人であっても
人生が自分の思い通りにならないことについて不満を持つ人もあるでしょう
それはヨブと同じく、律法(おきて)には熱心であっても
その心に本当の神を見ていないからかもしれません

当教会は設立から60年以上の歴史をもち
その間には
”これは絶対に神にしかできない”と思われる奇跡がたくさんありました
もしその奇跡がなかったら人生が変わっていたであろうことを実感する人は
すなわち”神を見た人”です

人は追い詰められると絶望しますが
それでも神に望みを見出そうとする人には神を見る機会が与えられ
その奇跡によって、本当に神の救いを確信した人は
もう自分の思いや考えを優先しようとは思わなくなり
”神にまかせる”ことを重視するようになります
そして、これが42章で
「自分を退け、悔い改めます」と語った
律法(おきて)の信仰から解放されたヨブの姿なのです

この後、ヨブは神の言葉に従って3人の友達のために祈り
神はその祈りを聞き入れます
それからヨブの境遇は元に戻され
以前にもまして大いに祝された人としての生涯を全うするのでした

人は絶望的な状況に陥った時こそ
もはや自分の知恵や力は当てにならないと悟り
心から神に救いを求めます
その時に成された不思議な神の業を認める人(=神を見た人)は
次にどんな困難が起きても動じないでしょう
それは、その信仰がその人を支えているからです
そして
これこそが平安な、この世にあって天国を味わう生き方なのです

神は愛の方ですから
人間が幸いになるために正しい道へと導こうと
色んなところを通されるでしょう
その時、わたしたちは神を見出すことができたら幸いです

不安の多い世の中にあって、誰もが平安を求めている今
どうぞ心から神を求め、神に出会い、救われて
神を見たという確信を大切にして
神と共に歩む幸いな人生を味わっていくことができますように



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