今週のみことば


7月4日


「彼らはヨシュアに答えた
『あなたがわれわれに命じられたことをみな行います
あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます
われわれはすべてのことをモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います
ただ、どうぞ、あなたの神、主がモーセと共におられたように
あなたと共におられますように」
(ヨシュア記1章16-17節))

カナンの地を前にイスラエルの民は
自分たちの決意をヨシュアに告げました
モーセの後継者として選ばれたヨシュアを信頼することは
モーセを用いた神への絶対の信頼の証
つまり、神が彼らを愛して下さるように
彼らも神を愛しているということです

”あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます”
とのイスラエル人の誓いは
わたしたちクリスチャンがどのように生きるかの見本です
自分の道を自分で決めるのではなく
神が導いて下さる所なら
そこが自分の思い通りの場所でなくても、むしろ嫌な所でも
”すべてを益にして下さる神”が導くのだから大丈夫と信頼してついていく
それが神の愛に応える生き方になるからです

例えば、誰も病気になりたくてなる人はいませんが
もしそうなったらなったで受け入れる
これは人間的に考えれば「あきらめる」という心境のようで
実は希望のある生き方となり
どんなところも神が通されるなら、神と共に通っていくとの信仰は
必ずその人を支え、幸いへと導きます

ヨシュアに率いられて神の約束の地へ入って行ったイスラエル人にも
その地には様々な敵がいたように
神の救いを受けたクリスチャンにも
その人生には多くの試練があるのは
試練を通して神の助けと力を実感するためでもあります
ですから、病気になったからといって
ある種の宗教が脅すように
その人に何か罪があるわけでもバチが当たったわけでもありませんから
すべては神のご計画のうちにあることとして受け入れ
そこを神と共に歩んで平安を得ていくことができれば幸いです

また、病気になった時、病院へ行くことも
必要に応じて手術を受ける等の治療を受けることも
「神から通される道」として受け入れていけばいいことで
そういうものを拒否することが信仰の表れではないのですが
人間の頑張りを中心とした考えになると
病院へ行くことそのものも不信仰の扱いになるかもしれません
それもまた「自分(人)の思い」から出たものです

神に愛されて救われたクリスチャンは
その生き方でもって愛に応えていくわけですが
常にそこにあるのは
「どうすることが神に喜ばれることなのか」との課題です
ここで問題になるのは
救われてもなお人の心には「自分の思い」というものが残っていて
それですべてを判断しようとすることでしょう
ところが
「自分の思い」に従って考える神というものは
たいてい聖書の教える本当の神とは違っています
それは
人生はほとんど自分の思い通りに物事が運ばないことからもよくわかります
要するに、その結果を見れば
自分の思いと神の思いは違っていると判断できるわけです
それでもなお自分の思いを通そうとするなら
その人は神を愛しているわけではなく
単に自分の思いを優先しているにすぎません
それでどうして平安が得られるでしょうか

イスラエルの民がカナンの地において様々な敵と戦っていったように
わたしたちの人生も
自分の思いとの戦いの連続です
誰でも試練など欲しくはありませんが
仮に病気が治らなくても(問題が思うような方向に進まなくても)
それでもこうして生かされていることに感謝できれば
そこには神からの平安が与えられます
そうなればもう病気の恐怖に支配されることはありません
それを「神にある喜び」と言い
それがあれば人はどんな所も希望をもって生きていけるのです

そして、このような生き方が可能になるのは
神がわたしたちを愛して下さっていることを知り
わたしたちもまた神を愛しているからで
人が誰かを好きになったら、その気持ちを大切にして生きていくように
わたしたちの神への信頼の気持ちが育っていくこと
これこそ神が人に求められるものなのです

神は人にそれぞれ一番良い道を用意して下さっています
あとはわたしたちがそれを良しとして従っていけるかどうか
すべての事は神の栄光を見るために起こるのですから
今の状態だけを見てイライラするのではなく
一生のスパンでもって何が幸いなのを考えることが大切です

ひとりひとりの魂はとても大切なもの
いつまでも自己中心のまま、思うように行かないと自暴自棄になる前に
同じ間違いを繰り返していたら自分がダメになってしまうことを悟り
日々の歩みに平安(天国)を体験するために
まずここまで生かされ助けられてきたことに感謝しましょう
それが立ち直りの第一歩です

薬が「サジ加減」ひとつで良薬にも毒薬にも変わるように
人生のサジ加減はすべて神の領域ですから
人が自分でこうすると決めても、思うような結果にはなりません
人生の歩みのサジ加減は神にゆだねて
開かれた道がどんな道でも
そこが必ず幸いであると信じて踏み出していきましょう



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