今週のみことば


7月11日


「ふたりの人がまだ寝ないうち、ラハブは屋上に上って彼らの所にきた
そして彼らに言った
『主がこの地をあなたがたに賜ったこと、わたしたちがあなたがたを非常に恐れていること
そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています
あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと
およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリ人の二人の王シホンとオグにされたこと
すなわち、ふたりを、全滅されたことを、わたしは聞いたからです
わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました
あなたがたの神、主は天の上にも、下の地にも、神でいらせられるからです』」
(ヨシュア記2章8-11節))

イスラエルの民を率いてヨルダン川を渡り
カナンの地へと入って行ったヨシュアは
まず偵察隊を二人をエリコの町へとつかわしました
エリコの町を囲む頑丈な城壁の上には人々が家を建てて住んでおり
その中にあった遊女ラハブのところへと二人は入って行きます
ところがその様子を見ていた者が王に密告したため
王の家来が二人を捕えようとラハブの元へやってきますが
彼女はイスラエルの偵察隊を隠して助けました

ラハブの機転で助けられたイスラエルの偵察隊に対して
彼女は彼らを助けた理由を語ります
そして、やがてイスラエル人がカナンの町に攻めて来る時には
ラハブと親族を助けてくれるように頼むのでした
偵察隊の二人は彼女の申し出を受け入れ
必ず彼女たちを救い出すと約束します
こうしてラハブは、救いの約束として提示された通り
窓に”赤いひも”を垂らし、その時に備えるのでした

カナン人であったラハブがイスラエル人をかくまったのは
イスラエル人がエジプトを出て、ここカナンに至るまでに
神がどのようなことをなされたのか
その数々の証を聞いて、信じていたからです
彼女にとって
イスラエルの神を信仰するための十分な知識があったわけではありませんが
”あなたがたの神、主は天の上にも、下の地にも、神でいらせられる”
と語っているように
彼女はこの神が、どのような所からも助け出して下さる
全能の神であると信じたのです

その後、約束通りラハブと親族は戦いの中から救い出され
やがて彼女はイスラエルの系図に加えられていきます
この事についてはマタイによる福音書1章に記されているように
ラハブはサルモンの妻となり、ボアズを産みます
ボアズはルツ記のルツの夫
ルツからオベデが生れ、オベデからエッサイが
そしてエッサイからダビデが生れるのでした

こうして、ただイスラエルの神の事をウワサで聞いて信じていたラハブでしたが
イスラエル人にとっても救いをもたらす恩人となったラハブは
あらかじめ神が用意して下さった人でもあります
わたしたちの人生にもどのような人が用意されているかわかりませんし
わたしたち自身もどのように用いられていくのかは
すべて神が決められることです

わたしたちは人生において色んなところを通されますが
必ずそこには神の助けがあることを信じることができるでしょうか
ラハブの聞いた神のウワサは
神が共にいなければ乗り越えられない荒野をイスラエル人が通ってきたという事実です
今わたしたちは聖書を通して数々の神の証を聞き
わたしたちの周りにも多くの奇跡の業を見る機会を与えられています
それを見聞きしてなおわたしたちは神をどう見るのでしょうか

ラハブは異邦の民ではありましたが
神を土台とした信仰に立って歩むことで救われました
わたしたちも、どんなところを歩まされるとしても
必ずこの救いの神イエスが共にいて下さることを信じていくこと
何がそこになされるかはわからなくても
神の救いに希望を置いて生きることが本当の信仰なのです

ラハブは窮地に追い込まれた時も
冷静に見るべきところを見て
聞くべき話を聞いていました
わたしたちも、困ったことになったからといって心乱れて荒れてはなりません
まずは聖書のみことばを聞き、心に留めて
それを自分本位の解釈ではなく
そのまま信じて従っていきましょう

人が絶望して「神はいない」と言っても
神はおられます
窮地に追い込まれた時こそ人が自分の弱さを知るチャンスであり
その時、自分は”土から造られた者”であることを知るのです
そんな力のない人間がどうして自分の力で自分を救うことができるでしょうか
あとはもう神にすべてをお任せするのみです

「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず
かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し
神はその約束されたことを
また成就することができると確信した
だから、彼は義と認められたのである」
(ローマ人への手紙4章20-22節)


ここは、神の約束を信じたアブラハムが
神から義とされた、つまりその信仰を正しいと認められたとの記述です
その人の信仰が正しいのかどうかは
見かけの熱心で量られるものではありません
いざという時に、どこに救いの希望を置くのか
そこを神は見ておられるのですから

わたしたちの人生において神がどのような方法をもって助け出して下さるのかは
わたしたちにはわからないことです
その神を
”あなたがたの神、主は天の上にも、下の地にも、神でいらせられる”
と語ったラハブのように
わたしたちも信頼し
どんな時にも救いの約束があることを信じて
希望をもって進んでいきましょう



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