今週のみことば


8月22日


「七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった
町を七度めぐったのはこの日だけであった
七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った
『呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜った
この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない
ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない
われわれが送った使者たちをかくまったからである」
(ヨシュア記6章1-5節)

先週に続き、エリコの石垣が崩れる話です
一日に一回、石垣の周りを六日間回った後
七日目には七回まわって、最後に大声をあげるとの
神の言葉に従った結果
人手によらず石垣は崩れ
イスラエルの民は一気に町の中へと攻め込みました

この時ヨシュアは
以前この地を探るためにラハブのところへ行ったふたりを
ラハブを助けるためにつかわします
彼らはラハブに誓った通り
彼女と彼女の父の家の一族と彼女の属する全ての人とを
助け出したのでした

こうしてカナン人であったラハブと彼女に属する人々は
みなイスラエルの民に加えられることになりました
それは、ラハブが
自分の身の危険を省みずイスラエルの斥候隊を助けたからです
そのようなことができたのは
ラハブがイスラエルの神こそ本当の神と心から信じていたからでした

現在わたしたちイスラエル人ではない異邦人にも
イエスの名によるバプテスマにあずかることにより
特別に神の民としての身分が与えられることとなりました
このように
「神の側に立つ人」には、神よりの祝福がありますが
与えられた祝福について
それをいつまでも感謝し、忘れないでいられるでしょうか?

神の選民であるイスラエル人は
助けられた感謝をいつも忘れ
新たな問題が起こると常に文句を言いました
これはちょうど 人が
大人になると自分の力で大きくなったように勘違いすることにも似ています
神から助けられて今日の自分があることを忘れなければ
謙そんに生きていくこともできるでしょう
ところが
多くの人は、神を、自分に都合よく動いてくれる存在と考え
神のご計画があることも考えず
神の時を待たず
自分の思い通りに物事が進まないと文句を言うのです

エリコの石垣の崩し方一つ見てもわかるように
神は実に不思議な事をなさる方なので
この神を信じる信仰の世界は
自分のことしか考えない人にとってはイライラするばかりかもしれません
これは、心の中に神との戦争が起こっているようなものですが
そのような戦いに人が勝つはずがありません

エリコの町を一日に一回まわるだけの日々は
わたしたちに「忍耐」を教えています
その時には
祈っても祈っても事が動かないように見えたとしても
これまで多くの困難から救い出された事を覚えていれば
更に忍耐して待つこともできるのではないでしょうか
そして
そのような心の状態になることを
「信仰の成長」と呼ぶのです

どんなに金銭的に豊かになっても、権力があっても
信仰的には、自分は神の前に「何も持たない者」として歩み
すべての恵みは神によることを忘れないでいきましょう
この謙そんな歩みは
人を精神的にも情緒的にも成長させます

人は自分のしたことは覚えていても
してもらったことは忘れてしまうことが多く
それは信仰の成長の妨げになっていくものですから
神に救われ、神のものとされ
様々な問題から助けられて今日があることを思い起こし
都合の良いごりやく信仰ではない
心から神を信頼する信仰をもっていきましょう

かつて大いに恵まれていたソロモン王が
女性の気を引くために偶像を拝し
その人生の終りには神を忘れていったように
人は恵みに慣れると神を忘れがちです

「何があっても神の事を忘れない」

そのように心して歩んでいきたいものです




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