今週のみことば
9月5日
「主はヨシュアに言われた
『恐れてはならない、おののいてはならない
いくさびとを皆、率い、立って、アイに攻め上りなさい
わたしはアイの王とその民、その町、その地をあなたの手に授ける
あなたは、さきにエリコとその王にしたとおり
アイとその王とにしなければならない
ただし、ぶんどり物と家畜とは戦利品としてあなたがたのものとすることができるであろう
あなたはまず、町のうしろに伏兵を置きなさい』」
(ヨシュア記8章1-2節)
エリコの町を落とす際、神の命令を破った者がいたため
次のアイの町での戦いに敗れてしまったイスラエルの民は
再びアイに攻め上るよう命じられます
今度の戦いは、神が「その町を与える」と約束されたもので
戦い方に至るまで細かい指示がありました
しかも、ここでは「ぶんどり物と家畜」は自分たちのものとして良いというのです
エリコではそうすることは罪に定められていましたが
神の命令は一回一回異なっていますから
しっかりと聞く耳をもって従っていかなくてはなりません
前回、アイの町に偵察隊を出した時には
この町なら2〜3千人程の兵力で十分だろうと目論見
実際に3千人の兵で出かけました
人間の目から見ればそれが妥当だと思えても
神のご計画は違います
神はアイへ全軍をもって当たるよう指示されたのでした
その時には町の後ろに「伏兵」を隠しておくように言われたので
ヨシュアは大勇士3万人を伏兵として派遣します
そして後は総力を上げて町に攻め上り
敵が出てきたら負けたふりをして逃げることと
敵が全員アイの町から出てきたところで、伏兵が町に入って攻め取ることを
命じられた通り実行しました
こうしてアイの町はイスラエルの手に落ちていきます
この戦いでは
アイの王以下全員がことごとく殺されていくわけですが
そこまで滅ぼしつくすことの意味は
「神に反する者を滅ぼす」ところにあります
エリコにしてもアイにしても
そこに住む人々は神に反する民ですから
その思いを一掃しなくてはならないのでした
この戦いの歴史は
単なる戦争物語ではなく
わたしたちの信仰の戦いを表しています
救いを受けてもなお
わたしたちの心は完全に神に向いているわけではありません
よく、信仰歴何年と、年数を自慢する人があるのですが
そういう人ほど神の事が分かっておらず
人を見下すような事をしがちです
アイの町の人々は
イスラエルの民が攻めて来てすぐに逃げ出すと
自分たちが強いと勘違いし、町の中を空っぽにして
イスラエルを追いかけて行きました
そのすきに町は伏兵によって取られていくのです
自分を誇り、人を見下す人の心は
神に反する心ですから
わたしたちも自分が強いと勘違いすれば
同じ失敗をしてしまうでしょう
ですから
わたしたちは自分の中に「神に反する思い」がないようにと
自分の心に注意していかなくてはなりません
信仰歴を誇り、社会や教会での自分の立場を誇り
偉くなってしまうと
もはや神の言葉を心に留められなくなって
問題を抱え、辛い状況にある人を見ても
その人の信仰がないから恵まれないのだと責めたりするようになります
そういう自分の地位にしても一瞬にして失う可能性があることを
神を知らない人はわからないからです
この章では
複雑な戦い方を通して
神のご計画と人間の考え方の違いがはっきりと示されています
負けたふりをして逃げる等、プライドの高い人にはできそうもありませんが
わたしたちの日常においても
そのような冷静な行動が必要になることがあり
実際に行動できるのが信仰ある人です
口では信仰信仰と勇ましい事を言っていても
いざという時に自分の我を通してしまうのでは
神の側に立つ信仰者とはいえず
そういう人には良い結果(神の証)も現れないでしょう
人間はそもそも神から造られた者ですが
そこを忘れると、神の正しさを見誤ってしまいます
しかし、神は絶対正しく、間違うのはいつも人間の方なのです
その間違いがやがて表に現れる時
わたしたちはいさぎよく悔い改めることができるでしょうか
聖書における戦いの場面は
人間的に考えれば非情で
神の方が悪いように思えるかもしれません
だからこそ、人間の好みに応じて聖書を読むと
神の正しさがそのまま伝わらないのです
ですから、神の側に立つ信仰者は
神の立場と人間の立場は全く違うことを知り
人は神に従うべきであることを
イスラエルの戦いを通して教えられていきましょう
そこでわたしたちが滅ぼすべき相手は人ではなく
自分の中の「神を敬わない心」
神中心であるべき信仰が人間中心になると
信仰に勘違いが生じ
自らの間違いのゆえに悩みが生じることになるからです
エリコでの「ぶんどり物や家畜」は
すべて神への捧げ物としなくてはならなかったのが
アイでは人々に分け与えられたように
神は人に必要なものはすべてご存じで
ちょうどよく与えて下さいます
全能の神は愛の神
その神の側に立つ者には必ず幸があります
神の正しさよりも自分の正しさを信じ
そのために他人を悪者にしたり、さげすんだりするような
心の貧しい人になりませんように
神に喜ばれる者となるよう、神の言葉に耳を傾け
成長して行きましょう
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