今週のみことば


9月19日


「主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日
ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った
『日よ とどまれ ギブオンの上に
月よ とどまれ アヤロンの谷に
日は とどまり 月は 動きをやめた
民が敵を打ち破るまで』
”ヤシャルの書”にこう記されているように
日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった
主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは
後にも先にもなかった
主はイスラエルのために戦われたのである」
(ヨシュア記10章12-14節)

エリコとアイの町を滅ぼしたイスラエルに対して
アイよりも大きく、勇士たちのいる町ギブオンまでが和を結んだと聞き
エルサレムの王は非常に恐れました
そこで彼は
同じアモリ人であるヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちと結託し
ギブオンに戦いを仕掛けます
するとギブオンはヨシュアに助けを求めたので
ヨシュアは全軍を率いて出陣しました

「主はヨシュアに言われた『彼らを恐れてはならない
わたしはすでに彼らをあなたの手に渡した
あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない」(8節)


ここにおける戦いは神のひとり舞台でした
すなわち、まず神は敵軍を混乱におとしいれて大打撃を与えた後
天から大石(ひょう)を降らせたのです
これによるダメージは、イスラエル軍の剣によるダメージよりも大きいものでした
更にヨシュアは神に祈ります
「日よ とどまれ ギブオンの上に 月よ とどまれ アヤロンの谷に」
すると、イスラエルが勝利するまで日は一日中沈むことがありませんでした

これまでも神は多くの祈りに聞き答えられましたが
今回の奇跡は食べ物や水が与えられるというレベルを越えて
天変地異がおこされたのです
日が一日動かなかったというのは地球の自転が止まったということ
そのような奇跡は神でなくて誰がおこせるでしょうか

こうして
アモリ人の5人の王と民は滅ぼされていきました
ここまで滅ぼしつくすことの意味は23章に記されています

「しかし、もしあなたたちが背いて離れ去り
あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで
婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら
あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい
彼らはあなたたちの罠(わな)となり、落とし穴となり
わき腹を打つ鞭(むち)、目に突き刺さるとげとなり
あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い地から滅びうせる」
(ヨシュア記23勝12-13節)


せっかく神の救いを受けてクリスチャンになっても
人の心にはなお自己中心の思いが残っています
それはカナンの地に住む先住民のもつ神に敵対する思いであり
わたしたちの戦うべき相手はそのような「神に反する思い」です

もしその戦いに負けて神の心を忘れれば
わたしたちは大きな失敗をしてしまうでしょう
かつてモーセに対して水がないと詰め寄ったイスラエルの民
その時モーセは怒りのあまり感情で行動し、過ちを犯してしまいました
「岩を打つ」ことも「岩に命じる」ことも、どちらも水は出ましたが
感情が先立つと自己中心になって何が正しい事かわからなくなってしまい
神に栄光を帰さない結果を招いてしまうのでした

人間はしばしば間違いを繰り返すので
以前あった失敗はまた起こる可能性があります
だからこそ自己中心の思いと戦い、滅ぼし尽くさなくては
その「残り」がやがてわたしたちを悩まし
せっかく恵まれた所に置かれていたはずが
いつの間にか信仰が失せ、自分さえよければいいと神の心から遠ざかり
祝福からも離れていくでしょう

わたしたちは神の中にあってこそ生かされている者
神を見上げて生きているかどうかが一番の課題です
人間誰しも失敗はあるとしても
そのつど神を思い出し、悔い改め
心新たに神を求めていくことができるかどうか
それができれば、心に天国を持つこととなり
神の導く道から離れず進むことができるのです

苦手な事、許せない事
感情に立てば人生には色々難しい事もあるでしょう
それでも
わたしたちの神は天地の創造主であり
どんな奇跡も起こされる方であることを
今回のみことばを通して学びました
その全能の神の導きにお任せして歩む時には
何が起こるかわかりません
どんな状況におかれても
その信頼(信仰)だけは捨てないで進んでいきたいものです

心の中に天国が実現する日々でありますように



<目次