今週のみことば


10月1日


「しかしダビデは、サウルの上着の端を切り取ったことを後悔し、兵に言った
『わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ
このようなことをするのを、主は決して許されない
彼は主が油を注がれた方なのだ』
ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった」
(サムエル記上24章7-8節)

ペリシテ人が攻めてきたため
一時ダビデを追うことをやめていたサウルは
ペリシテ人を追い払うと、またダビデを追って
エンゲディの「山羊の岩」までやってきました
サウルはこの時
イスラエルの全軍の中から選ばれた3千人を連れていましたが
奥にダビデとその兵が潜んでいるとは知らずに
”用を足す”ためにひとりで洞窟に入ります

これは神が与えた絶好のチャンスだと
ダビデの兵はダビデにサウルを殺そうと言いましたが
ダビデはそっとサウルの上着の端を切り取っただけで
決して殺しませんでした
それはサウルが神から油を注がれた王だからです

どんなにサウルに命をねらわれても
ダビデはこの事だけは絶対に譲らないばかりか
”上着の端を切り取る”行為でさえ
神は許されないのだと自戒しているのです

とはいえ
この後、サウルの前に姿を現したダビデは
その切り取った上着の端を彼に見せて
自分にはサウルを殺すチャンスはあったけれど
そうしなかったことを訴えました

ダビデにとって
主が油を注いだ方への敬意というものは
そっと上着の端を切ることさえ許されないほどストイックなもので
それはすなわち神への絶対の敬意の表れなのです
そして
どんなにつらい目にあっても神への敬意を第一にしようとするダビデは
自分の置かれている理不尽な状況が神によって正されるように
全てを神にゆだねてサウルに訴えるのでした

「わが父よ、よくご覧ください
あなたの上着の端がわたしの手にあります
わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした
わたしの手には悪事も反逆もありません
それにもかかわらず
あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです
主があなたとわたしの間を裁き
わたしのために主があなたに報復されますように
わたしは手を下しはしません」(12-13節)


ダビデの言葉を聞いたサウルは泣きました
その言葉は正しく、サウルは自分が間違っていることを認めたからです
「自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか」と
サウルはダビデの行いの正しさゆえに
これから神がダビデを祝し
イスラエル王国がダビデの手によって確立されることを悟りました
そして、そうなった時には
サウルの子孫を滅ぼさないと誓って欲しいと
サウルはダビデに願い出たので
ダビデはそれを約束して、二人は別れていくのです

自分の敵であっても
神の許しがなければ裁かないダビデは
常に神に祈って苦境を乗り越えてきました

「主よ、わたしと争う者と争い
わたしと戦う者と戦ってください
大盾と盾を取り、立ち上ってわたしを助けてください
わたしに追い迫る者の前に
槍を構えて立ちふさがってください
どうかわたしの魂に言ってください
『お前を救おう』と」
(詩篇35篇1-3節)


このダビデの詩には
ただひたすら神に救いを求めて祈る彼の信仰が表れています
そして
神はその祈りに答えて彼を救ってくださるわけですが
ダビデに対して誓いを求めたサウルは
その後もまだダビデの命をねらうのです

それがわかっていても
ダビデは何事もなかったかのようにサウルと別れていきます
神が油を注いだ人に対する処分は神に任せる
そんな”一歩引いた歩み”がわたしたちにできるでしょうか

これは
納得できないような状況の中でも”神の時を待つ”ことと同じです
戦いを仕掛ける最高のチャンスを逃したように思えても
それは勇気がないからではなくて
神に任せる信仰を持つことだ大切だということなのです

戦争とは実に残酷なもの
そして、わたしたちの人生にも様々な戦いがあって
次々といつも嫌なことばかり起こる残酷な人生であっても
神によってこの戦いを通り過ぎていくことを"勝利”と呼び
この勝利を体験することで信仰が深まり、魂が成長するのです

世の中にあっては
お金持ちになったり、誰かの上に立つことを”勝利”と呼ぶのですが
信仰者にとっては
神を否定している人に対して
自分の身をもって神の助け(救い)を知らせていくことが
本当の勝利者の生き方です

それにしても
いつまでも終わらない戦いの中で
戦わずにサウルと別れるダビデの様子を見ていると
”信仰に立つ”というのは本当に難しいことと思えます
確かにその場は助けられたけれど
何かものすごい見返りがあるでもなく
まだまだこの先も戦いは続くわけですから、、、

それでも
すでに神の助けを体験しているクリスチャンは
それを人にも、また自分自身にも語り伝えて
信仰の輪を広げていく使命があります
誰の人生にも困ったことがたくさんあって
それを人間的な力で解決しようとすると
更に新しい問題が起きることも多く
一方、神による解決は鮮やかで
誰もが認めざるを得ない結末があるからです

自分の思い通りにならない時には
心がくじけてしまいそうにもなりますが
神よりの救いの望みを持って
自分の感情に走らないで
すべてのことをご存じの神に人生をゆだねていきましょう



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