今週のみことば


1月2日


〜2016年の聖言〜

わが視(み)るところは人に異なり
人は外の貌(かたち)を見
エホバは心を見るなり


(サムエル前書16章7節下半句)



今年当教会に与えられた年頭のみことばは上記の通りです
この7節全部を口語訳では以下のように記されています
「しかし主はサムエルに言われた
『容姿や背の高さに目を向けるな
わたしは彼を退ける
人間が見るようには見ない
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」


ここは、ダビデが王として油を注がれた記述の箇所になります
すでに神の祝意を失ったサウル王の代わりに
次の王に油を注ぐよう命じられたサムエルは
神の言葉に従ってエッサイの所へ行きました
彼の子どもの一人が次の王になるというのです

サムエルはまず、立派な体格と容姿を持つエリアブを見て
この人が次の王に違いないと思いましたが
神の思いは違っていました
その後、他の子どもたちが次々連れてこられても
どれも違うというのです
そして、まだ少年で、羊の番をしているダビデが
次の王にと選ばれていくのでした

人の見方と神の見方は異なっていて
人はどうしても外観に左右されがちですが
神は常に人の心を見られる方です
この神は、心の中が見える神であることを
わたしたちは日頃から意識しているでしょうか

口では立派なことを言い
人間相手であれば上手くごまかすことができても
神を相手にしては、わたしたちは常にその「本心」が見透かされ
各々の「心がけ」が問われているというのです

教会にあっても
牧師に気に入られようとして
目に見えるもので喜ばせようとしたり
見栄を張り、人と競い合ったりすることがあるかもしれません
しかし
神に気に入られようというのであれば
まず自分の内面を省みなくてはならないでしょう

信仰者にとって一番欲しいのは神の恵みです
そして
自分にとって都合の良いことが成れば
「恵まれた」と言うのですが
自分の願いどおりになることだけを「恵まれた」と考えるのは
自ら恵みを遠ざける人の歩みです

というのも
神の恵みは常にわたしたちに注がれていて
人がそれを感じることができるかどうか
そういう心を持っているかが問われているのです
ならば
これからが恵まれた一年になるかどうかは
わたしたちの心がけによるということでしょう

年の終りに
「神に守られて今日がある」と
心から思える人は幸いです
それを感じる心を持っていること
これこそ神を喜ばせることだからです

また
”心を見る神”を信じる者は
人間関係においても相手の心をよく見なくてはなりません
人間関係には
お互いを支え合う関係もあれば
一方的に相手を利用する関係もあり
外観を見ていると足元をすくわれてしまうので
注意が必要です

そのような落とし穴から守ってくださる神の恵みをないがしろにせず
降り注ぐ恵みの雨を
自らの傘ではじいてしまうことがありませんように
ひとりひとり心して
新しい年を歩み出してまいりましょう



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