今週のみことば
11月19日
「兵士は皆、息子、娘のことで悩み
ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ
だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起した」
(サムエル記上30章6節)
ダビデとその兵士たちがペリシテ軍から離脱して帰ってみると
アマレク人が町を襲撃した後で
町は焼かれ、そこにいた女たち、年若い者から年寄りまで
一人も殺さずに連れ去られていました
それを見たダビデも兵士たちもショックを受け、泣き
嘆きのあまり兵士たちはダビデを恨んで殺そうとまで言い出したので
ダビデは更に苦しみました
しかし
ダビデは神への信仰によって自分を奮い立たせます
ダビデは祭司を呼び、神に託宣を求めました
『この略奪隊を追跡するべきでしょうか。追いつけるでしょうか』
この問いかけに神は答えました
『追跡せよ。必ず追いつける』
こうしてダビデと600人の兵士たちは略奪隊を追って出かけますが
ベソル川の所まで来た時、200人が疲労で動けなくなったので
彼らを置いて、400人で追いかけていきます
すると
一人の弱ったエジプト人を見つけ
食事をさせると元気になって
彼はアマレクの奴隷であることがわかりました
そして彼に略奪隊のところへ案内させるのでした
エジプト人に案内されて着いた先では
アマレク人が戦利品をそこにおいてお祭り騒ぎをしていました
そこでダビデは夕暮れ時になるのを待ち
攻撃をかけ、それは翌日の夕方まで続きました
この攻撃により、逃げた400人の若者をのぞいて
すべてのアマレク人は滅ぼされ
ダビデはアマレクによって奪われた人も物もすべてを取り戻し
更には羊と牛をことごとく戦利品として奪いました
やがて一行がベソル川の所まで戻ると
200人の兵士たちが迎えに出てきました
ダビデに従って戦いに行った者の中には
残った200人に対して
戦利品を分ける必要はないと主張する者もありましたが
それに対してダビデは言いました
『兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない
我々を守って下さったのは主であり
襲ってきたあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ
誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう
荷物のそばにとどまっていた者の取り分は
戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない
皆、同じように分け合うのだ』(23-24節)
更にダビデはツィクラグに帰ると
ユダの長老たちに戦利品の中から贈り物をしています
ダビデとその兵がかつてサウルに追われてあちこちをさまよっていた時
この長老たちは色んなところで助けてくれたからです
このように
ダビデは常に人々を思いやり
働きの多い少ないに関わらず平等に扱い
受けた恩もけっして忘れない人でしたから
この後、彼が王として立てられていく時には
人々は彼を大いに信頼し従っていくのでした
さて
一難去ってまた一難・・・という状況のこの章を見ると
困難に直面した人間は
しばしば「逆恨み」をするのだという事が分かります
アキシュ王に従って600人の兵が出陣した留守に
アマレク人が攻めて来て彼らの家族を捕えて行ったのは
ダビデの落ち度ではありません
ところが
家族を奪われたショックのあまり彼らはダビデを殺そうとまでするのです
しかも「石打ち」という犯罪者に対する方法で、です
ここまで彼らを気づかいながら率いてきたダビデに
どうして犯罪者扱いをする必要があるでしょうか
それでも人間というのは悲しいもので
思うように行かないとすぐに「人が悪い」と決め付けて
神に頼らず、人に八つ当たりをするのです
そんな苦境に立たされた時も
やはりダビデはまず神に頼りました
「ダビデはその神、主によって力を奮い起した」
これは信仰がなければできないことです
クリスチャンは「神に立つ」とか「神に希望を置く」とか
その姿勢について理想を語るのみならず
本当にそのようにしようと日々訓練していないと
信仰は育ちません
ダビデが奮い起した力とは
人間が勝手に出す力ではなく
神の動きのうちにわき出てくるもの
つまり
神の動きを知ろうとし、神に聞き従おうとするところに
この力は出てくるのです
クリスチャンとは
完全な方であるイエス・キリストの救いを受けた者であり
教会によって聖書を教えられて
日々成長するように導かれていきます
それは
「神に似る者」として成長するのであって
ダビデが部下を思いやり、愛のある行動をしているように
わたしたちも聖書を知る事で
どのように考え行動すべきかを教えられていくわけです
そして
聖書を教えられるのみならず
聞いたことに従って行動し
神に救われている者の幸いを世に示していく使命が
クリスチャンにはあるのです
ダビデとその兵士たちの家族が奪われた時も
神は愛の方なので
彼らが一人も殺されないように采配してくださいました
一時は悲しい思いをしても
奪われた家族はみんな無事に帰ってきて
すべては神の助けのうちに進んでいったわけです
この助けをわたしたちも自分のものとして心に留めて
どんな時も希望を持って
神がどのようにわたしたちを導き歩ませようとしているのかを悟り
神に聞き従っていれば大丈夫との信仰を育てていきましょう
実際のところ
「神のない人生」とは厳しいものです
信仰者の強みは、困った時に祈る対象を持っていること
祈る事で希望を得ることができるのは幸いです
そして
ここまでダビデの歩みを通して
「神の助けは思わないところに起こる」ことが教えられました
この数々の助けを通してダビデの信仰は成長し
彼はその感謝を忘れず
お世話になった人々にも礼を尽くしました
こういった人間としての成長も重要なことでしょう
人間は弱いので
困るとパニックに陥りがちですが
どんな時も神によって奮い立つことができますように
神の知恵を頼りとして歩んでいきましょう
<目次