今週のみことば
1月16日
「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い
バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々
アンモンの神々、ペリシテ人の神々に仕えた
彼らは主を捨て、主に仕えなかった
主はイスラエルに対して怒りに燃え
彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された」
(士師記10章6-7節)
ギデオンの子アビメレクの死後
トラが23年、ヤイルが22年士師としてイスラエルを裁きましたが
ヤイルの死後またもイスラエルは真の神を捨て
他の神々に仕えるようになりました
この事は
「主の目に悪とされること」であるため
怒った神はもうイスラエルを助けることをやめて
彼らを敵の手に渡されたので
彼らはその後18年間も苦境に立たされます
そこでようやくイスラエルの人々は神を呼び
自分たちの間違いを悔いたのでした
しかし
助けを求める彼らに対して神は以下のように答えます
「あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えた
それゆえ、わたしはもうあなたたちを救わない
あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい
苦境に立たされたときには、その神々が救ってくれよう」(13-14節)
それでもなおイスラエルの人々は神に対して悔い
その救いを求め続けました
もはや彼らを救ってくれるのは神しかいないと悟ったからです
「彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し
主に仕えるようになったので
主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった」(16節)
何度も裏切ってきたイスラエルの人々を
ここでまた神は助けます
神は愛の方なので
イスラエルの人々が苦しむのを見るに忍びなくなったのでした
ここを読む時
人間は苦境に立たされないと神を忘れてしまい
自分の好む神々(お金や地位や名誉等)に目が向いて
それを頼りにしてしまう「弱さ」や「愚かさ」を持っていることがわかります
一方
そんな愚かな人間であっても
神は悔い改める者を何度も許して助けてくださるわけです
「もう助けない!」と見捨てても
わたしたちの苦しみを憐れんで救いの手を差し伸べる
その愛の心に対して
わたしたちはいつまでも無関心でいていいはずがありません
もし本当に神に見捨てられてしまったなら
人は何もできなくなるはずですが
見捨てられてしまったかのように思えても
結局は許しのうちに生かされていて
その心がどこに向くのかを見られています
人は弱いのでどうしても失敗はあるでしょう
では失敗した後に、どう反省するのでしょうか
問われるのはその心です
神の恵みによって今まで何度も苦境を救われながら
その感謝を忘れてしまい
更には、神をも忘れて
ひたすら自分の面子(欲)を追い求めていく・・
そして、いつまでもその「思い」を滅ぼそうとしないなら
それが自分の人生にワナとなっていくことは
これまでも何度も記してきました
弱いわたしたちの心をよくご存じの神は
愛をもって何度でも助けてくださることを思うと
いつまでも同じ間違いを繰り返さないように
わたしたちも心して歩んで行きましょう
<目次