今週のみことば


12月24日


「ダビデは言った
『サウル家の者がまだ生き残っているならば
ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい』」
(サムエル記下9章1節)

「ダビデは王として全イスラエルを支配し
その民すべてのために裁きと恵みの業を行った」と
8章15節には記されています
そんな中で
ダビデにはなお気にかかる事がありました
それはヨナタンとの契約です

「その時わたしにまだ命があっても、死んでいても
あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し
また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも
あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」
(サムエル記上20章14-15節)


ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し
サウル王の息子でありながら
父を裏切ってまでダビデを助けてきました
そして
そのヨナタンの愛ゆえにダビデは彼との間に契約を立てたのです

というわけで
ダビデはサウル家に仕えていたツィバという人を呼び出しました
そして彼に
「サウル家には、もうだれも残っていないのか
いるなら、その者に神に誓った忠実を尽くしたいが」と問うと、ツィバは
「ヨナタンさまの御子息が一人おられます
両足の萎えた方でございます」と答えたので
ダビデはさっそくその人を王宮に呼び寄せました

ヨナタンの息子メフィボシェトに対してダビデは
祖父であるサウルの土地をすべてメフィボシェトに返すこととし
更に
これからはダビデと一緒に食事をするようにと告げると
メフィボシェトは大いに恐縮して言いました
『僕など何者でありましょうか
死んだ犬も同然のわたしをかえりみてくださるとは』

こうしてメフィボシェトは
ダビデから王子の一人のように丁重に扱われていきました
そして
ヨナタンとの契約もここで履行されることとなったわけですが
ダビデが約束を守ったのは
契約だから仕方なく・・・ではなく
そこに心(=愛)があったからです

このダビデの行いは
神がどのような心でわたしたちを慈しみ恵んで下さるかというひな形です
何の功績があったわけでもない者が救いの道に入れられ
救われた者に対して限りない愛をもって助け導いてくださる神の恵みを
ここでわたしたちは改めて教えられるのです

「あなたがたがわたしを選んだのではない
わたしがあなたがたを選んだ
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと
わたしがあなたがたを任命したのである」
(ヨハネによる福音書15章16節)


ダビデの愛に満ちた配慮に対して
メフィボシェトは自分のことを”死んだ犬も同然”と言って恐縮しています
死んだ犬とは”役に立たない者”との意味ですが
わたしたちが今どのような状態であったとしても
神の前に役に立たない人などありません
みなそれぞれが用いられていくように
神はわたしたちを選んでこうして生かしていてくださるからです

その後メフィボシェトは
ダビデの心を感謝を持って受け入れました
わたしたちも神の恵みを思い出し
その愛を感謝をもって受け入れる者となっていきましょう

神ご自身が救い主として生れてくださった日を祝うクリスマスは
神の恵みに感謝する日です
この救いがなければ
わたしたちはこの世界の中で
どれほど不安な日々を過ごしているでしょうか
そして
神の選びの中にあることはどんなに幸いなことでしょうか

どうぞ
神の好意のうちに生かされていることを心に留めて
感謝と共に日々を過ごしていきましょう



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