今週のみことば


1月30日


「その名をマノアという一人の男がいた
彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった
彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった
主の御使いが彼女に現れて言った
『あなたは不妊の女で、子を産んだことがない
だが、身ごもって男の子を産むであろう
今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず
汚れた食べ物も一切食べないように気をつけよ
あなたは身ごもって男の子を産む
その子は胎内にいる時から、ナジル人として神にささげられているので
その子の頭にかみそりを当ててはならない
彼はペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう』」
(士師記13章2-5節)

エフタが士師としてイスラエルを裁いた期間は6年でしたが
その後、イプツァンが7年、エロンが10年、アブドンが8年士師を務めた後
イスラエルはまたしても神の目に悪とされることを行ったので
神は彼らを40年間ペリシテ人の手に渡されました

高度な鉄器文明を持っていたペリシテ人は
その武器を使ってイスラエルに挑み彼らを大いにを悩ませました
そんな時、次の士師となる人が選ばれます

ある時、マノアの妻の元に神の御使いが現れて
不妊であった彼女が
イスラエルをペリシテ人から救う士師となる男の子を産むと告げました
彼女は驚いてそれを夫に知らせたので
マノアは神の御使いがもう一度自分たちの所へ来て
具体的にどうすればいいのか教えてほしいと祈ります
すると再び御使いは現れ
マノアの妻に命じたことを繰り返し告げました

その後マノアは御使いに御馳走をしたいと願い出ますが
御使いは、人の食べものは食べないが
燔祭をささげたいなら神にささげるようにと言います
この時マノアはこの方が神の御使いであることを知りませんでした
そこで彼に名前を尋ねると
神の御使いは『不思議という』と答えます

そして、マノアが子山羊と穀物を燔祭としてささげると
祭壇から炎が天に上り
神の御使いも一緒に上って行ったのです
この時マノアはその方が神ご自身であったことを悟り
神の姿を見てしまった自分たちは死ななければならないと恐れました
しかし、妻は
自分たちの捧げものを受け取られたということは
神は決して自分たちを死なせるわけではないと夫に告げるのでした
こうしてマノアの妻は、先に命じられた事を守って
やがて男の子を産み、その子をサムソンと名付けます

「この女は男の子を産み、その名をサムソンと名付けた
子は成長し、主はその子を祝福された」
(士師記13章24節)


マノアの妻は子どもが与えられない身でしたが
思いがけず神によって男の子を与えられることになりました
その時、彼女は
神の命令に従って食に気をつけながら妊娠期間を過ごしています
神が与える恵みのチャンスを
彼女自身が従うことで受け取ることができたというのは
信仰者としてとても重要なポイントです

というのも
わたしたちのところにも
それぞれに神の恵みはあるのですが
恵みが与えられやすい心でいるかどうかによって
自ら恵みを台無しにしてしまうこともあるからです

教会へ熱心に集っていれば、あるいは奉仕などをしていれば
「神に従っている」ように思えても
その心が「自分の我を通す」状態である限り
それは従っていることにはなりません
わたしたちは各々が置かれた状況に応じて
自分の考えも変えていかなければならないことが多く
その時、我を通さず、柔軟な対応ができるかどうかが問われ
教会では、その対応の仕方のヒントが与えられます

そういう意味で、教会には様々な知恵がありますから
教会に集うことは重要ですが
あくまでも自分の考えに固執するなら
せっかく用意されている恵みにあずかることもできないでしょう

マノア夫妻のように
現在わたしたちのところに神が現れるわけではないにしても
今は教会があり、神の知恵があります
そこにあって
わたしたちは「恵まれる者」としてのチャンスを得ながら
心の内側から育っていかなくてはなりません

サムソンの成長を神は祝されたように
わたしたちも神に恵まれるように育っていく時
魂が、信仰が成長し
さまざまなことが気にならない
心の強い者となっていくことができるのです

人が自分で自分の信仰を育てようと思っても
実際にはどうすればいいのかわかりませんが
だからこそ
目の前に起きてくる事に対して自分をどう従わせていくのか
どう自分が変わっていけばいいのか
神がわたしたちを恵むためにどうなることを望んでおられるのかに
気づいていかなくてはならないのです

ですから
自分の願いが成ることだけのために信仰する人は
自分が変わるという考えがないので
本当の信仰は成長しません
自分の持っている常識とは違うけれど
それでも信じて開かれた道を進んでみよう
マノア夫妻はそう思って従ったのです
それは本当の信仰がなければできないことでしょう

「子は成長し、主はその子を祝福された
とあるように
サムソンは神に祝された人として成長していきました
人は自分に栄光を帰することが多いのですが
神に栄光を帰する子育てをすることが
祝福を得る秘訣です

そして、「子育て」は「自分育て」と同じこと
神の恵みがある歩みができる者として
わたしたちもそれぞれ自分を育てていくことができますように



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