今週のみことば
2月13日
「デリラは、彼が心の中を一切打ち明けたことを見てとり
ペリシテ人の領主たちに使いをやり
『上ってきてください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました』と言わせた
ペリシテ人の領主たちは銀を携えて彼女の所に来た
彼女は膝を枕にサムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた
彼女はこうして彼を抑え始め、彼の力は抜けた
彼女が『サムソン、ペリシテ人があなたに』と言うと
サムソンは眠りから覚め
『いつものように出て行って暴れて来る』と言ったが
主が彼を離れられたことには気づいていなかった」
(士師記16章18-20節)
イスラエルを救う士師となったサムソンは
ペリシテ人を倒すことのできるの怪力を神から与えられていました
当時ペリシテ人は最先端の武器を持っていましたが
14章には
サムソンは「ロバのあごの骨」で千人のペリシテ人を倒したと記されているように
神の力があれば
役に立たないような物でもこうして最強の武器として用いられたのです
しかし、そんな最強のサムソンにも弱点がありました
彼は女性に弱く
やがて遊女デリラの罠にはまっていくのです
デリラはペリシテ人とつながっており
彼らからサムソンの力の元を探るようにと持ちかけられ
サムソンを彼らに売ろうとしていました
最初のうちはウソをついて逃げていたサムソンですが
最後にはデリラに本当の事を打ち明けてしまいます
”ナジル人(ナザレ人)のサムソンは髪をそってはいけない”
彼が生れる時に命じられたこの神との契約は
決して破ってはならないものでした
ついに本当の事を知ったデリラはサムソンを眠らせ
その間に彼の髪をそらせます
それによって神は彼から離れ、同時に彼の力も失われたのですが
彼自身はそのことにまだ気づいていませんでした
やがてペリシテ人が襲ってくると
サムソンはいつものように力が出せず
捕らわれて、目を失い、牢につながれて、石臼をひく仕事をさせられました
こうして、かつて怪力を誇ったサムソンは
最もみじめな姿に転落したのです
それは
神との契約を破ったからに他なりません
デリラに自分の秘密を打ち明けた時には
それがどれほど重大な過ちであるかをサムソンはわかっていなかったのでしょう
彼にとって自分が怪力を持っていることは
すでに当たり前の事になっていて
それが失われることなど考えてもいなかったのかもしれません
人は愚かなので、自分の力を過信し
その力を与えて下さっている神の存在を忘れがちですが
そんな心の隙間に
今度はデリラのような人が惑わしに現れてくるのです
詐欺師は善人の様に近づいてくるので
神の知恵を持って見破らなくてはなりません
しかし、人間はしばしば神の知恵よりも自分の思いを優先するため
惑わしに簡単に陥ってしまうのです
神との契約を破ったことで
サムソンから神は離れてしまいました
こうして一度は神の信頼を失ったサムソンではありますが
彼の髪は再び伸び始めていました
自分の愚かさを知ったサムソンは
最後に士師としての使命を果たして死ぬことを決意します
折しも、ペリシテの神ダゴンの祭りに
サムソンは見世物として領主たちが集まる建物の中へ連れて行かれました
その時サムソンは
もう一度だけ自分に力を与えてくださるようにと神に祈ります
そして
建物を支えている中心の柱2本を持って力を込めると
建物はそこに集まっていた人々の上に崩れ落ちました
こうしてサムソンは最後にそれまでで一番多くのペリシテ人を滅ぼし
士師として生きた生涯を閉じたのでした
神との約束を破ったサムソンにも
愛の神は最後にあわれみを与えました
人間が過ちを犯す愚かな生き物であることは
神はよくご存じですし
何より、その弱さがあるからこそ
神に用いられて強くされているわけです
それを自分が強いとか偉いとか勘違いしないで
神の前に己を低くして生きることは最も大切なこと
もしそれを忘れたなら
自らが神から離れていくのと同じです
「そのころイスラエルには王がなく
それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」
(士師記17章6節)
サムソンが死んだ後
イスラエルには彼らを導く者がおらず
それぞれが勝手なことをしていました
士師記の一番最後にも同じ言葉が書かれているように
イスラエルは統率する者がいないといつも神から離れていくのです
「自分の目に正しいとすること」がすべて本当に正しいわけではありません
ここで問題になるのは
人間の判断が「神さま抜き」になってしまいがちであることでしょう
神の心に配慮しない行動は
やがて人々の間に混乱をもたらします
人はみな考え方が違い、自分が正しいと思うことを主張しても
何が本当に正しいのかは神だけが知っていること
それを忘れ、傲慢になると
各々が自分を王として自己主張するようになるのです
自分の目に正しいのではなく「神の目に正しいとすること」は何なのか
それを知るために祈り、開かれた道を歩む
それが信仰者の進むべき道です
人生に神という王がいなければ
人間は好き勝手なことをしてしまうでしょう
どんな時にもわたしたちには神が共にいて
神に祈ることができる
こうして人生に神を持っていると、罠に陥ることも防ぐことができます
神を知らない人でも
困った時には何かに祈るものですが
神を知るわたしたちは
いよいよ神に用いていただくために祈り
幸いな道を進んで行きましょう
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